OpenAI は日本時間 2026 年 9 月 9 日未明、数学の未解決問題「ナビエ–ストークス方程式の存在と滑らかさ」を解いたと発表しました。その約 6 時間後、チャールズ・ホスキンソン氏は「Navier-Stokes」と題した 18 分 46 秒の動画を配信し、この発表を「だから Midnight を作った」という話に結びつけています。
氏が動画で語っているのは、三つの別々のことです。証明は正しいのか。誰の仕事なのか。そして、研究の途中経過を誰が読めるのか。動画では三つが一つの物語として語られますが、この一週間で公開された資料をあてると、それぞれ答えの出方が違います。
本稿では動画の全文を翻訳したうえで、公式資料で確認できることと、氏の主張にとどまることを切り分けます。動画のなかで「非公開のログが使われた」と語られている部分は、確認された事実ではありません。この点は本文で丁寧に扱います。
動画:Charles Hoskinson「Navier-Stokes」
先に結論
- OpenAI の発表は、ナビエ–ストークス方程式について「滑らかな外力を加えると、解が有限時間で壊れる例を作った」というものです。証明書は 166 ページ、Lean(証明の各段を計算機が検査する道具)による機械検証つきで、約 1 万のエージェントが 88 時間動いたと説明されています。懸賞金は請求しないとしています。
- クレイ数学研究所は 9 月 11 日、「問題は解決されたようだ」としつつ、審査は「意図的に急がない」と表明しました。規則上、所定の媒体に掲載されてから 2 年以上経ち、数学界に広く受け入れられることが検討の前提です。「懸賞問題が正式に解決した」と言える段階ではありません。
- 動画が入口にしている「ジェイ・カミングス氏の投稿」は、OpenAI の発表を引用した 1 文だけの投稿です。氏の言う「チャットログを持っている」は投稿には書かれていません。また、カミングス氏の所属はカリフォルニア州立大学サクラメント校で、UCSD は博士号の取得先です。
- 功績をめぐって実際に名前が挙がっているのは、ニューヨーク大学の Tristan Buckmaster 氏と Levent Alpöge 氏です。二人は OpenAI の発表の約 12 時間前に声明を出し、自分たちの進捗が OpenAI に伝わっていた経緯を記録しています。ただし Buckmaster 氏自身が「誰かを告発しているのではない」「自分たちのデータが使われたかどうかは分からない」と書いています。
- OpenAI は発表当日の時点では「利用データ由来の匿名化データが学習に寄与した可能性は排除できない」としていましたが、その後 9 月 9 日から 13 日にかけて段階的に否定を強め、最終的に「7 月 3 日以降の利用者の入力は今回のシステムに一切影響し得ない」と説明しています。動画は、この否定が出る前の時点で配信されています。
- 氏が 2021 年に設立したカーネギーメロン大学の形式数学センターの予測どおり、今回は OpenAI 側も Buckmaster 氏側も Lean で証明を機械検証して公開しました。「誰を信じるか」の問題が「何が検証されたか」の問題に変わりつつあることは、動画の主張のなかで最も裏の取れる部分です。
今回の動画で何が起きたのか
動画は氏本人のチャンネルで、ワイオミング州ジレットからのライブ配信として公開されました。YouTube 上の配信時刻は 2026 年 9 月 8 日 16 時 20 分(UTC−7)で、日本時間では 9 月 9 日 8 時 20 分にあたります。尺は 18 分 46 秒です。
きっかけは OpenAI の投稿です。同社は日本時間 9 月 9 日 2 時 20 分、「ナビエ–ストークスのミレニアム懸賞問題の解を共有する」と投稿しました。証明はエージェント群が生成し、モデルは「GPT-6 Astra より大幅に高性能な次世代モデル」だと書かれています。氏は動画の冒頭でこの投稿を読み上げ、ミレニアム問題とは何か、ナビエ–ストークス方程式とは何かを説明します。
そこから話は「だから Midnight を作った」に移ります。氏は数学者ジェイ・カミングス氏の投稿を引き合いに出し、こう述べます。
Jay Cummings I worked on this proof for a year and they just tweeted it out.(ジェイ・カミングス「この証明に 1 年取り組んできたのに、彼らはそれをツイートしてしまった」)
氏はここから、モデルが ChatGPT の内部ログにある数学者の未完成の解法を取り込み、それを数千のコピーで仕上げて Lean で検証したのではないか、という筋書きを語ります。そして「クラウドの最先端モデルに入れたアイデアは、もう自分のものではない」「Midnight はそれを解決する」と続けます。
後半は、氏自身が 2021 年にカーネギーメロン大学に設立した形式数学センターの話です。Lean のような証明支援系が数学者の共同研究の範囲を広げるという当時の予測と、AI 自身が証明を書く時代が予想より早く来たことへの驚きが語られます。最後は「あらゆる発明は何かの改良である」という話で、マイケル・ジャクソンとボブ・フォッシーの映像を流して締めくくられます。
独立確認できたこと、氏の主張にとどまること
この動画は、発表から 6 時間後に配信された速報的な感想です。裏の取れる部分と取れない部分がはっきり分かれるので、順に置きます。
確認できたこと。OpenAI の発表は公式ブログと X の投稿で確認できます。主張の中身は、フェファーマンによる公式問題文の四つの選択肢のうち (C) と (D)、つまり「滑らかな外力のもとで解が有限時間で壊れる」側を示したというものです。公式問題文では、(C) と (D) は「滑らかな初期条件と滑らかな外力 f が存在して、解が存在しない」という形で書かれています。外力を許すのは氏の言う「抜け道」ではなく、問題の定義に最初から含まれている選択肢です。証明書は 166 ページで、Lean による形式化が添えられています。同社は懸賞金を請求する意図はないとしています。
クレイ数学研究所は 9 月 11 日に声明を出し、「ナビエ–ストークス問題は解決されたようだ」としつつ、評価と功績の判断は規則に従って「意図的に急がずに」進めると表明しました。規則では、所定の刊行媒体への掲載、掲載後 2 年以上の経過、数学界での一般的な受容が、解答候補を検討する前提です。動画で氏が「Clay は逃げ道を見つけられる」と述べている部分は、この審査手続きが長いことを指していると読めます。
カミングス氏については、大学の公式プロフィールで所属がカリフォルニア州立大学サクラメント校の准教授、博士号は 2016 年に UC サンディエゴで取得と確認できます。動画の「UCSD の教授」という紹介は、学位取得先と現在の所属が混ざったものです。氏の投稿は OpenAI の発表を引用したもので、本文は「私は……この証明に 1 年取り組み……そして……彼らはそれを……ツイートしてしまった」という、点線を多用した 1 文だけです。研究の内容、ログの有無、告発の意図のいずれも、この投稿からは読み取れません。
氏の主張にとどまること。「モデルが ChatGPT の内部ログを読んだ」という筋書きは、動画の時点でも、今の時点でも確認されていません。ただし、氏がそう考えた背景はあります。OpenAI は発表当日の 9 月 8 日朝の時点で、数学者の利用に由来する匿名化データがモデルの改善に寄与した可能性は「ありそうにないが排除できない」と書いていました。動画はこの記述が生きている時間帯に配信されています。その後 OpenAI は 9 月 9 日夜に「Buckmaster 博士の直近 2 か月の Codex 入力が、学習を含めいかなる形でも今回のシステムに影響することは不可能」と説明し、9 月 10 日にブログを更新、9 月 13 日には「7 月 3 日以降の利用者の入力は一切影響し得ない」と範囲を広げました。これは同社自身の調査説明であり、第三者による監査ではありません。
功績をめぐって実際に名前が挙がっているのは、動画に出てくるカミングス氏ではなく、ニューヨーク大学クーラント研究所の Tristan Buckmaster 氏と、Anthropic に所属する数学者 Levent Alpöge 氏です。Buckmaster 氏は OpenAI の発表の約 12 時間前に声明を公開しました。声明によれば、二人は 8 月 15 日に「滑らかな外力のもとでのオイラー方程式の有限時間爆発」などの結果を得て、8 月 22 日に Lean で検証を終えています。この方向性は Diego Córdoba 氏と Luis Martínez-Zoroa 氏が数年かけて開いたもので、二人はそれを LLM の助けを借りて完成させたと書いています。使ったのは Anthropic の Claude と OpenAI の Codex です。
声明の後半は、9 月 3 日に「自分たちの進捗が OpenAI に伝わった」という情報を受けて OpenAI の研究者に連絡した経緯と、9 月 6 日の通話で「内部モデルが外力つきナビエ–ストークスの有限時間爆発を証明した」と告げられたやり取りの記録です。Buckmaster 氏は、自分たちが Codex に全ての草稿を入れていたため、モデルがそのセッションを学習していないかを尋ね、「モデルは利用者データを参照しない」という答えは得たが、学習については答えがなかったと書いています。同時に、こうも明記しています。「私は OpenAI の証明を見ていない。彼らのモデルが何をしたのかも、私たちのデータが使われたかどうかも分からない。私は誰も告発していない」。
つまり、動画の「1 年分の仕事が盗まれた」という話には、実在する当事者と実在する経緯があります。ただし当事者本人の言い方は、動画よりずっと慎重です。
SIPO の視点
1.「ログが読まれた」は、動画の時点では OpenAI 自身も否定しきれていませんでした
この動画をいま見るときに大切なのは、配信された時刻です。OpenAI が「排除できない」と書き、Buckmaster 氏が「学習については答えがなかった」と書いた、その日の夕方に氏は話しています。「内部ログを読んだのではないか」という疑いは、氏の独創ではなく、その時点で数学者本人と OpenAI の文面の両方に残っていた空白を、氏なりに埋めたものです。
その空白は、その後の 5 日間で OpenAI 側から段階的に埋められました。最終的な説明は「7 月 3 日以降の利用者入力は影響し得ない」です。この説明を信じるかどうかは別として、動画の筋書きを「確認された事実」として引用することは、今はできません。SIPO はこの記事で、氏の発言を発言として訳し、確認できたことを確認できたこととして横に置きます。
一方で、氏が投げた問いそのものは消えていません。未発表の研究を外部の AI に入れるとき、それがどこに保存され、誰が読め、学習に使われるのか。OpenAI の公開方針では、個人向けサービスの会話は学習に使われ得るがオプトアウトでき、法人向け製品と API の入出力は原則として学習に使わないとされています。Buckmaster 氏の声明にも「OpenAI は Codex のやり取りで学習する権利を留保している」という認識が書かれています。「クラウドの AI に入れたものは全部同じ扱い」ではなく、製品ごとに条件が違う、というのが確認できる範囲です。
2.Lean が「誰を信じるか」を「何が検証されたか」に変えました
まず、動画に何度も出てくる Lean とは何かを置いておきます。Lean は、数学の定理と証明を「計算機が読める書き方」で書き、証明の一段一段に飛躍がないかを機械が検査してくれる道具です。公式サイトは「オープンソースのプログラミング言語であり証明支援系」と説明しています。ふつうの論文では、証明の正しさは査読者が読んで判断します。Lean では、証明を書き終えて検査を通す作業がプログラムの「コンパイル」にあたり、一か所でも論理が飛んでいれば通りません。逆に通れば、その証明は書かれた命題を確かに導いている、と誰が見ても言えます。数学者が積み上げた定理の共有ライブラリ(Mathlib)は 100 万行を超えており、新しい証明はその上に書き足していきます。
たとえるなら、これまで「信頼できる仲間に読んでもらう」しかなかった検算を、電卓のように誰でも同じ結果が出る形にした、ということです。氏が 2021 年に予測したのは、この検算があれば知らない相手とも安心して共同研究できるようになる、という変化でした。
動画のなかで最も裏の取れる部分は、ここです。氏は 2021 年にカーネギーメロン大学へ 2,000 万ドルを寄付して Hoskinson Center for Formal Mathematics を設立し、Jeremy Avigad 氏がセンターを率いています。当時の予測は、Lean のような証明支援系が「共著者を信頼できる 3〜5 人」という数学の協力半径を広げる、というものでした。
今回の出来事では、OpenAI も Lean で証明を形式化し、Buckmaster 氏と Alpöge 氏も Lean で検証してから公開しています。争っている両者が同じ検証器を使ったことで、「証明が正しいか」という問いは、少なくとも形式化された命題については、人の信用と切り離して確かめられるようになりました。氏が「ソフトウェアのテスト駆動開発のようだ」と言うのは、この意味です。
ただし、Lean の公式文書は「定理に有効な証明があるか」と「定理の命題が何を意味するか」を分けて考えるよう求めています。形式化された命題が元の問題を正しく表しているか、どの公理に依存しているかは、人が確かめる部分として残ります。氏の「コンパイルできれば数学は正しい」は、この前提を省いた簡略化です。
そしてもう一つ。正しさの検証は、着想が誰のものかを決めません。Buckmaster 氏の声明が Córdoba 氏と Martínez-Zoroa 氏の名前を繰り返し挙げているのは、まさにこの点です。Lean は証明を検証しますが、来歴は記録しません。ここが、次の Midnight の話につながります。
3.Midnight が狙っているのは「計算はしてもらうが、中身は読ませない」場所です
氏は「Midnight は AI を動かせるプライベートな環境を作り、ログを読めなくする」と述べています。これは氏の構想の説明であり、いま使える製品の仕様ではありません。Midnight の公式ドキュメントが土台として示しているのは、ゼロ知識証明と選択的開示です。秘密のデータそのものを公開せず、必要な条件だけを検証できるアプリケーションを作る、という設計です。公式のハッカソン案内には、暗号化した入力を受け取って推論を実行し検証可能な結果を返す「機密推論 API」や、学習データを漏らさずにモデルの性質を証明する「プライベート AI 監査」が開発テーマとして挙げられています。
SIPO の見方では、氏の構想を評価するときは三つの層を分けると見通しがよくなります。
| 層 | 確認すること |
|---|---|
| 入力と保存 | 未発表の草稿を、誰が受け取り、どこに保存するのか |
| 推論の実行 | 計算の途中を、サービス運営者や計算機の管理者が読めるのか |
| 検証と開示 | 何を証明し、誰にどの情報を見せるのか |
Midnight のゼロ知識証明が直接効くのは三つ目の層です。二つ目の層、つまり大規模モデルの推論そのものを誰にも読まれずに実行することは、ブロックチェーンだけでは閉じません。計算環境、鍵の管理、ログの設計を組み合わせて初めて、氏の言う「推論の利点だけを得る」形になります。ハッカソンのテーマは、まさにその組み合わせを試す場として置かれています。
つまり、動画の「Midnight がこれを解決する」は、「いま解決している」ではなく「ここを解決するために作っている」と読むのが正確です。Midnight のバリデータ運用はまだ始まっていませんが、始まれば SIPO も参加するつもりで、この方向を応援しています。同時に、読者に対しては「Midnight を使えば外部 AI に入れたものが自動的に守られる」という理解にはならないよう、線を引いておきます。
4.カミングス氏の投稿は、動画が語るほどの情報を含んでいません
動画は「ジェイ・カミングス氏が 1 年取り組んだ証明をツイートされた」と語り、「彼はチャットログを持っている」と続けます。原投稿を確認すると、OpenAI の発表を引用して「私は……この証明に 1 年取り組み……そして……彼らはそれを……ツイートしてしまった」と書いた 1 文だけで、ログにも研究内容にも触れていません。カミングス氏の専門は組合せ論で、公式プロフィールにナビエ–ストークス方程式の研究は見当たりません。投稿が告発なのか、当日の空気を受けた冗談なのかは、投稿からは決められません。
SIPO はこの部分を、氏の記憶違いか、当日のタイムラインで複数の話が重なった結果と見ています。功績の当事者として実際に声明を出しているのは Buckmaster 氏であり、その内容は上に書いたとおりです。動画を見る方には、カミングス氏の名前でこの件を検索するより、Buckmaster 氏の声明を読むことをお勧めします。
ここから見ておきたいこと
ひとつ目は、OpenAI の 166 ページの証明書に対する専門家の評価です。Lean が通っていることと、形式化された命題が問題文の (C)(D) を正しく表していることは別に確かめられます。Buckmaster 氏自身が「OpenAI の証明は見ていない」と書いている段階なので、ここからです。
ふたつ目は、Buckmaster 氏と Alpöge 氏が「Lean 検証が終わっていない」として公開を見送った、粘性を弱めたナビエ–ストークス方程式の結果です。声明では「外力なしのオイラー方程式への道を示唆する」と書かれています。これが公開されると、両者の結果の関係がもう一段はっきりします。
みっつ目は、クレイ数学研究所の審査です。規則上、掲載後 2 年が最短です。「AI が解いた」という見出しと「懸賞問題が解決した」という認定のあいだには、少なくともそれだけの時間差があります。
よっつ目は、Midnight 側で「機密推論」がハッカソンのテーマから実装へ進むかどうかです。氏の言う「ログを読めない AI 環境」が具体的な設計文書や第三者検証つきで出てくれば、この動画は構想の初出として振り返られることになります。
チャールズ・ホスキンソン氏動画「Navier-Stokes」全翻訳
導入──ワイオミングから
こんにちは、チャールズ・ホスキンソンです。荒々しくも力強いワイオミング、ここジレットの補助オフィスから生放送でお届けします。いま、友人である Monument Health への移行の対応をしているところです。ご存じのとおり Mayo の提携先で、私たちが建てた美しい建物を少しずつ、しかし着実に引き継いでくれていて、ジレットの皆さんにどうやって素晴らしい医療を提供するかを考えてくれています。
でも、出てきたときには楽しまなければいけない話題というものがあります。もちろん人工知能の話なので、例によって何もかもが驚くほど物議を醸しています。ちょっとしたものをお見せしましょう。
ミレニアム問題とは
これは OpenAI のツイートで、かなり驚くべきことが書かれています。まず、ミレニアム問題とは何でしょうか。クレイ研究所という組織が 100 万ドルの懸賞金をかけた一群の問題で、数学全体のなかで最も重要で最も難しいと考えられている問題です。物理学と重なるものもあります。
解けば「ターボ終身在職権」が手に入るような問題です。週末に人食いになって修道女に火をつけても解雇されず、遠い島に送られてそこで仕事を続けられる、ナポレオン風の流刑ですね。要するに、学界でのゴッドモードです。ポアンカレ予想、リーマン予想、そしてナビエ–ストークスといった問題がそれにあたります。
ですから、誰かがナビエ–ストークスを解いたと主張すれば、それは大ごとで、多くの人が強い懐疑を向けます。
OpenAI の発表
OpenAI が言っているのはこうです。「私たちはナビエ–ストークスのミレニアム懸賞問題の解を共有します。数学の最前線にある最も深い問題の一つです。証明は、GPT-6 Astra より大幅に高性能な OpenAI の次世代モデルを使ったエージェント群によって生成されました。この問題は、ナビエ–ストークス方程式でモデル化された滑らかな三次元の流体運動の記述が破綻し得るかを問うもので、90 年間未解決のままでした」。
ナビエ–ストークスとは何か
ナビエ–ストークスという名前は、クロード=ルイ・ナビエとジョージ・ガブリエル・ストークスの二人に由来します。19 世紀の問題で、彼らは偏微分方程式の体系を作りました。関心があったのは、流体はどう流れるのか、ということです。
流体と言えば水ですよね。でも、あらゆるものがある種の流体です。川の水、翼の上を流れる空気、煙突を抜ける煙、気体もおおむね流体のように振る舞いますし、体内の血液もそうです。流体には、だいたい三つのものが一緒に働いています。押す圧力、重力のような外からの力、そして流体自身の粘り気、つまり粘性です。
はちみつは水とは違う注ぎ方をします。コーヒーにクリームを入れてかき混ぜると、すぐには消えず、時間をかけて色が変わります。船は航跡を残します。これは本当に大事なことで、クレイ数学研究所もそう認識していますし、物理学全体がそう認識しています。
求めているのは、流体が動くとき、行儀のよい振る舞いをする方程式の体系を作れるか、ということです。偏微分方程式で「行儀がよい」というのは、有限性と滑らかさのことです。偏微分方程式が暴れ出すと、それはもう極端に暴れます。(※ここで氏は「養育費を請求してくるような」と冗談を挟んでいますが、訳出は省きます)
「壊れない」ことを示す
やることはこうです。「この解には無限の速度も、無限に鋭い折れ曲がりもないことを示したい」。そうでないと、系が物理から外れてしまうからです。無限の速度、無限のエネルギー、無限の不連続は系の中にありません。流体らしく滑らかであってほしい。それが流体の振る舞い方だからです。有限でなければなりません。
ですから、こういう問題を解くのは数学にとって大きな、とても大きなことです。数学の一分野をまるごと前進させることになります。偏微分方程式は、すべての工学者が、すべての物理学者が強い関心を持つものです。流体力学は、ロケットを作る人、航空宇宙の技術者、機械の技術者が何らかの形で必ず扱います。学部や大学院で工学や物理を学ぶと、どこかで流体力学に触れます。常微分方程式と偏微分方程式の講義は必ず取ります。そして偏微分方程式の講義でナビエ–ストークスは、「述べるのは簡単だが、語るのはとてつもなく難しい」の典型例です。
ですから OpenAI がこれを解いたと主張するのは、数学のパラダイムを根本から変えることになります。90 年以上の理解の例で、みんなが「いったいどうやって解くんだ」と言い続けてきたものだからです。
だから Midnight を作った
さて、ここに問題があります。そしてこれが、私たちが Midnight を作った理由です。何度も何度も、この話に戻ってきます。
ナビエ–ストークスがある。ところが、ジェイ・カミングスが「この証明に 1 年取り組んできたのに、彼らはそれをツイートしてしまった」と言っている。ジェイ・カミングスは何を言っているのでしょうか。
ジェイ・カミングス氏の投稿
ジェイ・カミングスは UCSD の教授です。(※編集注:大学の公式プロフィールでは、所属はカリフォルニア州立大学サクラメント校の准教授、UCSD は 2016 年の博士号取得先です)ちゃんとした数学者で、経歴を見れば多くの論文があり、とても優秀で、素晴らしい仕事をしてきた人です。では、なぜジェイは 1 年取り組んだと言っているのでしょうか。チャットログを持っているからです。(※編集注:原投稿は OpenAI の発表を引用した 1 文のみで、ログには触れていません)
これを追っていくと面白いのは、OpenAI は完全に独自に思いついたと言っている点です。しかし見えてくるのは、超高性能なモデルに不可能な課題を与えて、その創造性と洞察を試したという構図です。こうしたモデルは基本的に最適化エンジンで、経路の最小化を探します。自分で解けなければ、オンラインを探しに行きます。そしてアクセスできるものとして、ChatGPT の内部チャットログがあります。
内部チャットログに入っていくと、そこには一人の数学者がいて、その数学者が取り組んでいた。その人の解法、その人のアイデアが、ChatGPT のアプローチに影響を与えたか、あるいは丸ごと置き換えたように見えます。そして向こうには数が多い。数千のモデルのコピーが、それを次の段階へ持っていき、Lean で検証し、何かを作り上げたのです。
机に置いたノートの比喩
これは、こういうことに相当します。ある問題に 1 年取り組んで、そのノートを机の上に置いておく。別の数学者がやって来て、ノートを手に取り、読んで、刺激を受け、「ああ、この問題の解き方が分かった」と言う。そして全部書き下し、確認し、発表する。自分が思いついたと言う。
こちらは言いたくなります。「ちょっと待ってください。証明の方針を考えたのは私です。そのための土台も全部私が作ったし、必要なものは全部私が渡した。このやり方で私が仕上げたんです」。
こういうことは学界で時々起きます。私たちの研究グループでも何度か遭遇しました。たいていは「できちゃった結婚」で決着します。双方に実質的な貢献があれば、一緒になって共著者になることに合意し、功績を分け合う。他方で、激しい対立になる場合もあります。実際、微積分の発明にはこの問題がありました。アイザック・ニュートンが先行していましたが、ライプニッツが先に出版したので、自分が微積分を発明したと主張した。ドイツにいればライプニッツに賛成し、英国にいればニュートンに賛成するでしょう。とても古い確執ですが、こういうことがどれほど激しくなるかが分かります。
プロンプトに入れたものは
ここで言われているのは、ChatGPT のプロンプトに入れたものは何であれ、彼らはそれを使う、ということです。あなたの知的財産、あなたのアイデア、あなたのものを。
数学者にとって、これは Google や Apple や Microsoft のアイデアを、計画も何もかも含めて持っていて、ビル・ゲイツやラリー・ペイジやスティーブ・ジョブズになることが保証されているのに相当します。数学という分野にとって最大級の話です。有限で滑らかなナビエ–ストークスの解を持っている、なんてことになったら、言葉もありません。キャリア最大の達成で、これを超えるものはない。まさに「それ」です。
それを ChatGPT が、あなたの 1 年分の仕事を取り、あなたにはログがあって、いろいろやってきたのに、魔法のようにそれを取り、自分の仕事だと言い、「見つけた、書いた」と言う。そして発表して、クレイから賞をもらう。これはかなり大きなことで、かなり悪いことです。
ですから、学者であれ、起業家であれ、自分のアイデアを知っておいてください。クラウドの最先端モデルに入れて共有したら、それはもう自分のアイデアではありません。いつでも OpenAI が取りに行けて、サム・アルトマンが自分のものにできる。ダリオも同じで、Claude を使えば Anthropic のものになります。(※編集注:氏の主張です。OpenAI の公開方針では、法人向け製品と API の入出力は原則として学習に使わないとされ、個人向けサービスにはオプトアウトがあります)
では、なぜ Midnight がこれを解決するのでしょうか。AI を動かせるプライベートな環境を作り、ログを読めなくするからです。推論の利点をすべて得ながら、欠点は何も引き受けない。発明を共有する必要も、知的財産を盗まれることもなくなります。
教訓の瞬間
これは教訓的な出来事です。とてつもなく物議を醸すでしょう。おそらく「できちゃった結婚」のような形で落ち着くと思います。数週間待ってください。いろいろなことが出てきます。分刻みでドラマが起きる AI、いつもドラマです。暗号資産の世界で私たちは彼らに勝ちましたが、ほんの少しの差です。それにしても、彼らが解いたと主張していることには驚かされます。
カーネギーメロンの形式数学センター
さて、多くの方がご存じのとおり、私はカーネギーメロン大学に形式数学のセンターを設立しました。ジェレミー・アヴィガドが運営しています。素晴らしい人で、優れた数学者です。私たちは 2021 年に、依存型言語によって可能になる構成的数学、つまり QED 宣言や、1970 年に Automath が始めたものが、本当に大きくなると予測しました。ソフトウェアのテスト手法を数学の共同体に直接持ち込める道だからです。
私たちが考えていたのは、これが専門の数学者たちの協力の半径を広げるということでした。センター開設時の私の基調講演を見ていただくと、私の立場はこうです。数学が協力しにくい分野なのは、共著者を信頼して、すべてを完全に理解し検証できなければならないからで、信頼の半径はかなり小さい。本当によく知っていて、本当に一緒に仕事をする、3 人から 5 人くらいです。証明する術はなく、相手が優れた数学者だと信じるしかない。そうでなければ相手の間違いが自分の間違いになります。
Lean があれば、ソフトウェアのテスト駆動開発のようになります。証明が正しいことを証明できるので、誰も信頼する必要がない。参加する方法は、何かを証明することです。コンパイルでき、Lean の証明が正しければ、数学が正しいということです。だから、はるかに大きな協力集団に広げられます。コンピューター科学の世界では、50 人、100 人、200 人、500 人の貢献者がいるリポジトリは珍しくありません。Git のようなバージョン管理システムを使って、全部を整理できます。
それはそれで結構なことで、素晴らしいことです。ただ、AI がここまで入ってくるとは、私たちは予想していませんでした。デジタルの分身のようなものは可能になると分かっていましたが、AI 自身が証明を丸ごと書くという考えは、かなり遠い話でした。大規模言語モデルには本当に驚かされましたし、ここまで進んで、これほどのことを達成し実行できたのは見事です。
数学界はこの証明を受け入れるのか
数学の基礎には戦争があります。直観主義対構成的数学、どれだけの数学が構成可能なのか、依存型システムはどれほど強力なのか。そして ZFC 集合論を載せると、驚くほど強力に見えます。膨大なことができます。バナッハ=タルスキーのパラドックスや連続体仮説が Lean で形式化されているのは、私にとっても意外でした。ここまで来たのは本当に驚くべきことです。
これは面白い話で、いろいろなものが一つに包まれています。最先端の数学であり、数学の文化でもあります。数学界がこの種の証明を受け入れることをどう感じるのか、私には分かりません。Lean は証明の正当な形式なのか。私はそうだと考えます。そのために形式数学のセンターを作りました。でも、私は明らかにちゃんとした数学者ではないし、影響力もありません。もっとも、ペーター・ショルツェとテレンス・タオは私に同意していますから、それは何かを意味します。彼らはちゃんとした数学者です。しかし、古い流儀の数学者の多くはそうではありません。たとえば数論の学術誌は AI の貢献を受け付けません。そこには聖戦があります。
でも、証明があるとき、どうするのでしょう。AI の貢献を無視しても、それが正しいのなら、「解けているのに未解決の問題」になります。人間の生身の脳がそれをなぞって、少しだけよい版を思いつくまで待つのでしょうか。ヘルフゴットの三重ゴールドバッハ予想の証明のように。(※編集注:字幕では「health cuts」と表記されていますが、2013 年にハラルド・ヘルフゴット氏が発表した弱いゴールドバッハ予想の証明を指すものとして訳しています)分かりません。面白い問いです。これは無視できない問題で、忌避できない状況です。
証明案を見て
OpenAI の書き物を少し見る機会がありました。私はナビエ–ストークスの専門家ではありません。私の分野ではなく、私が学んだのは解析的整数論と加法的整数論で、関心のあり方がまったく違います。
ただ、彼らが提案している解法は、少し裏技のように見えます。現実の物理では出てこないような退化した場合を許しながら、それでも技術的には解の条件を満たしている。これも細かく突ける点です。提案には、クレイが論争全体を回避したければ逃げ道を見つけられる程度の粗さがあります。
しかし、これが意味するのは、モデルが賢い人の仕事を「盗む」方法を知るほどに進んでいる、ということです。その仕事を取り、改良し、繰り返し、難問を実際に解くところまで形式化する。それはとても人間らしい振る舞いです。いまの進歩の速さでモデルがそれをできるなら、能力は指数関数的によくなっていきます。
創造性の源については、開かれた哲学的な問いがいくつかあります。でも正直に言えば、人間の発明の大部分も、何か別のものの反復と洗練です。
マイケル・ジャクソンとボブ・フォッシー
それをお見せするために、ちょっとしたものを見てもらいましょう。皆さんご存じの、我らが友マイケル・ジャクソンです。でも、ボブ・フォッシーという昔の人がいて、1974 年にマイケル・ジャクソンに影響を与えたのを知っていましたか。(※編集注:字幕では「old band」と表記されていますが、ボブ・フォッシーは振付師・演出家です)ちょっと流してみましょう。ジャクソン 5 のマイケルがこれを見て、「これをやろう」と言ったわけです。皆さんが昔わくわくして見ていたあのマイケル・ジャクソンの動きは、ボブ・フォッシーから「蛇」を借りてきたものだった、ということになります。
つまり、すべては借り物で、真に独創的なものは何もない。そして、それがよいところでもあります。前にあったものを受け取って、もっとよくできるのです。
さて、皆さんはどう思いますか。ナビエ–ストークスの解法、その出所は OpenAI なのか。技術的には、OpenAI の知識はすべて他の数学者から来ています。それとも、ChatGPT のチャットログにある未完成の部分的な解法なのか。それが本当の証明で、本当の着想なのか。マイケル・ジャクソンは違う光の下のボブなのか、それとも新しく、面白く、違う何かなのか。難しいですよね。それでは、また次回。乾杯。
一次ソース・関連資料
- Charles Hoskinson「Navier-Stokes」(2026 年 9 月 8 日配信・18 分 46 秒)https://www.youtube.com/live/dcQxe9ohHOw
- OpenAI「On the Navier–Stokes Millennium Prize Problem」(2026 年 9 月 8 日公開・9 月 10 日更新)https://openai.com/index/navier-stokes-solution/
- OpenAI の発表投稿(2026 年 9 月 8 日 17 時 20 分 UTC)https://x.com/OpenAI/status/2097374640582668336
- Jay Cummings 氏の投稿(2026 年 9 月 8 日 19 時 17 分 UTC)https://x.com/LongFormMath/status/2097404073406521691
- Tristan Buckmaster 氏の声明(ニューヨーク大学クーラント研究所)https://cims.nyu.edu/~tristanb/statement.pdf
- クレイ数学研究所「Navier–Stokes announcement」(2026 年 9 月 11 日)https://www.claymath.org/news/navier-stokes-announcement/
- クレイ数学研究所 ミレニアム懸賞問題の規則 https://www.claymath.org/millennium-problems/rules/
- クレイ数学研究所 公式問題文(Charles L. Fefferman・選択肢 A〜D)https://www.claymath.org/wp-content/uploads/2022/06/navierstokes.pdf
- カーネギーメロン大学「Hoskinson Center for Formal Mathematics」設立発表(2021 年 9 月 22 日)https://www.cmu.edu/news/stories/archives/2021/september/hoskinson-center-for-formal-mathematics.html
- Lean 公式リファレンス「Validating Proofs」https://lean-lang.org/doc/reference/latest/ValidatingProofs/
- カリフォルニア州立大学サクラメント校 Jay Cummings 氏プロフィール https://scholars.csus.edu/esploro/profile/jay_cummings
- OpenAI「How your data is used to improve model performance」https://openai.com/policies/how-your-data-is-used-to-improve-model-performance/
- Midnight 公式ドキュメント https://docs.midnight.network/
- Midnight 公式ブログ「Everything you need to know for the 2025 Midnight Summit Hackathon」(AI トラックの開発テーマ)https://midnight.network/blog/everything-you-need-to-know-for-the-2025-midnight-summit-hackathon
- Wikipedia「Navier–Stokes priority controversy」(OpenAI の説明の推移を日付つきで整理・二次資料)https://en.wikipedia.org/wiki/Navier%E2%80%93Stokes_priority_controversy
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