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必見!チャールズ・ホスキンソンが語る「人間としての原点」── Sociousによる珠玉のインタビュー:要約・全翻訳

チャールズ・ホスキンソンが語る「人間としての原点」── Sociousによる珠玉のインタビュー:解説

2025年、暗号資産・ブロックチェーン業界において最も深く、そして最も「人間的」なインタビュー動画のひとつが誕生しました。

そのタイトルは:

「Humans | by Socious EP 01 – Charles Hoskinson」

インタビューを手がけたのは、日本発のインパクト・タレント・マーケットプレイス SociousのCEOであるSeira Yun(セイラ・ユン)氏です。

記念すべき初回ゲストには、カルダノ創設者であり数学者・思想家・企業家でもあるチャールズ・ホスキンソン氏が登場。

この対談は、技術論を超えた、“人間・チャールズ”の本質に迫ったと言える珠玉の一編となっています。実際にこの動画はチャールズ・ホスキンソンさんが言及しているとおり、今年最高のインタビュー動画の一つとなっています。


ホームスクールから数理哲学、そしてブロックチェーンへ

インタビューの冒頭、ホスキンソン氏は自身のルーツを語ります。

彼はハワイで育ち、独特な教育背景――ホームスクーリングでの学びを経て、15歳で大学へ進学。そこから数学、哲学、政治、医学と分野を渡り歩きながら、自らの探究心を武器にキャリアを切り拓いていきました。

「伝統的な教育には“正解と不正解”がある。けれども、研究者や起業家にとって世界は“謎”そのもの。だから私はファースト・プリンシプル(第一原理)で物事を考えるようになった。」


未来の教育とAIの共進化

ホスキンソン氏は、教育の未来についても明確なビジョンを持っています。

  • AIとの協働による自律的な学び
  • デジタルとフィジカルを融合させた「メイカー教育」
  • 日々の振り返りによるジャーナリング習慣
  • そして、子どもが自ら「失敗し、回復する力」を育むこと

「学ぶとは、読むことではなく“書くこと”だ。思考を言語化し、教えることによって初めて知識は自分のものになる。」


「クオンタム・ホスキー」── 4次元×AI×暗号資産の新しい世界観

本インタビューの中盤では、ホスキンソン氏が現在開発を進めている「Quantum Hosky」というプロジェクトに言及します。

  • 4次元空間で構築する“超ボクセル世界”
  • 自律的に文明を築くAIエージェント
  • 思考(マインド)でブロックチェーンをマイニングする「Mindscape」
  • 人間の神経細胞を用いたDishBrainコンピュータ

まさに映画「アバター」や「ブレードランナー2049」的没入体験と、分散型テクノロジーとを融合させた前代未聞の試みです。

「見たこともない世界を創りたい。たとえプレイヤーがいなくても、AI文明がそこに生きている。それだけで価値がある。」


Cardanoの過去・現在・そして誇り

後半では、Cardano創設の経緯や後悔、戦略上の反省も率直に語られます。

  • 初期言語選定(Haskell)の課題
  • スマートコントラクト開発の難しさ
  • Cardano財団・EMURGOとの統治課題
  • そして、Intersectによる「やり直し」の再構築

しかし、氏はこう締めくくります。

「私たちには憲法があり、オンチェーン予算プロセスがあり、年次ロードマップがある。BitcoinやEthereumにはないが、Cardanoにはそれがある。」

「人は“カルト”と言うかもしれない。でも私はそれを“カルチャー”と呼ぶ。そしてそれがCardanoの最大の強みだ。」


ロバは億万長者を気にしない── 人間性を保つことの意味

インタビューのラストでは、チャールズらしいユーモアに満ちた一言が印象を残します。

ロバはお前が億万長者かどうかなんて気にしない。平気でお前にクソをかける。

これは、どれだけ成功しても**“人としての基盤を見失わないこと”**の大切さを象徴する、ホスキンソン哲学の真髄です。

「自然は、お前が誰かなんて気にしない。ただ“そこにいる一人の存在”として接してくれる。」


まとめ:このインタビューが照らす、Web3の“人間性”

このインタビューは、ただの技術紹介でもなければ、政治的プロモーションでもありません。

それは、「人間チャールズ・ホスキンソン」が、何を恐れ、何を夢見てきたかを率直に語る、

魂のドキュメント”です。

そしてこの物語は、ブロックチェーンやAIというテクノロジーを通じて、

「人間らしさとは何か?」を問い直す私たち全員への問いかけでもあります。


🎥 Humans | by Socious EP 01 – Charles Hoskinson(YouTube)

📡 配信:Socious – Impact Talent Marketplace

📍 対面収録:東京


Sociousとは?──「変革の裏にある人間ドラマ」を伝えるWeb3時代のストーリーテラー

*Socious(ソーシャス)は、「世界をより良くしたい」という志を持つ人々――インパクト人材(impact talent)――と、社会課題に取り組むプロジェクトをつなぐ、インパクトタレント・マーケットプレイスです。

Web3とDAOの仕組みを活用し、報酬・信頼・価値の再分を通じて、分散型で透明な社会貢献のエコシステムを築くことをミッションとしています。

🔗 Socious 公式サイト:https://socious.io
🔗 X(旧Twitter):@sociousdao
🔗 Seira Yun氏:X(旧Twitter):@seira_yun


以下は動画「Humans | by Socious EP 01 – Charles Hoskinson」翻訳したものです。

Humans | by Socious EP 01 – Charles Hoskinson:全翻訳

冒頭イントロ部分

起業家であれ、革新者であれ、研究者であれ、最初から答えが用意されていることはありません。すべてが謎です。物事がなぜそう動くのか、なぜうまくいくのかすら分かりません。だからこそ、探究者である必要があります。物事を分解して、解剖して、徹底的に理解しようとする姿勢が求められます。

🎵(BGM)

こんにちは、セイラ・ユンです。こちらは「Humans by Socious(ヒューマンズ・バイ・ソーシャス)」、社会を変えるチェンジメーカーたちの「人間らしい物語」に迫る番組です。

今回のスペシャルエピソードでは、カルダノの創設者であり、数学者・慈善家・ビジョナリーとして知られるチャールズ・ホスキンソンをお迎えします。彼はブロックチェーン業界において最も影響力のある人物の一人であり、技術的専門性と社会変革への情熱を併せ持っています。

この対話は東京で対面収録されました。特別なエピソードにご参加いただき、ありがとうございます。


「チャールズとの対話の始まり(日本での印象、教育の話)」

――今日はお話しの時間をいただき、ありがとうございます。

「こちらこそ、いつでも大歓迎ですよ、セイラさん。お会いできてうれしいです。日本は素晴らしい場所ですし、今は特に最高のタイミングで来れました。」

――素晴らしいですね。お相撲さんにも会ったそうで?

「ええ、そうなんですよ。自分の体型にちょっと自信が持てるようになりました(笑)」

――(笑)では本題に入りましょう。この1週間、カルダノのロードマップや予算についていろいろお話しされていたと思いますが、今日はちょっと違うテーマで伺いたいんです。

「もちろん、どうぞ。」

――教育についてお話ししたいと思っています。あなたは優れた教育者としても知られていますよね。ビットコインに関するUdemy講座を開講されたり、教育的なYouTube動画もたくさん作られています。

そして、あなたの教育的背景自体も特別ですよね。ホームスクーリングで学ばれたとか。日本ではホームスクーリングはほぼ違法なので、気になっていました。

どうしてホームスクーリングをすることになったのか、そしてどんな子供時代だったのか、ぜひ教えてください。

ホームスクーリングの背景とチャールズの教育経験

ええ、私はハワイで育ちました。父もハワイの学校に通っていました。父はオレゴン州で生まれたのですが、ちょうど私の祖父が医学校に通っていた時期でした。その後、父はパナマとモンタナで育ちました。モンタナでは教育制度がかなり良かったそうです。

ですが、祖父がマウイ島で個人開業医を始めてから、父はハワイの高校に通うことになりました。すると、そこではかなり人種差別がありました。モンタナ出身の白人の子どもがハワイのような場所で生きていくのはとても困難だったそうです。特に学校では、白人の生徒がわずか4〜5人しかいなかったそうで。

そんな経験から、父は私に同じような体験をさせたくなかったんです。それで両親は「しばらくホームスクールにして、今後の方針を考えようか」と決めました。

私はあるとき、「これ、早く卒業できるんじゃない?」と気づき、「このホームスクールって最高だから、続けようよ!」と言ったんです。夏休みの間も勉強を続けていたので、15歳で高校を卒業することができました。

これはとてもチャレンジングでしたが、同時に素晴らしいことでもありました。というのも、通常よりかなり早くスタートを切ることができたからです。一方で、大学に入学したときは、社会性が大きく欠けていて、その適応にかなり苦労しました。

ですから、この道を選ぶことに躊躇する人の気持ちもよく分かります。

ただ、最大の利点は、自分自身の世界観が完全に独自でオリジナルなものになったことです。教育による洗脳や、「これを信じなさい」というような政府の押しつけも一切なく、すべてを“ファースト・プリンシプルズ(第一原理)”で考えることができました。

私は古典や名著といった原典に直接あたって、それを自分なりにじっくり考え、「この著者は何を考えていたんだろう」と想像する。そうやって自己探究に長け、未解決な複雑な問題にも自然と慣れていくことができたのです。

標準教育との違い・起業家精神の基礎

一般的な教育制度に通えば、すべてはパッケージ化されています。

すべてが「はい、これは歴史の授業ですよ。これが正しい答え、こっちは間違い」と、箱に入ったようにスプーンで与えられるのです。

でも、起業家やイノベーター、研究者という立場になると、何ひとつ答えは与えられません。

すべてが謎だらけです。物事がなぜそう動くのか、なぜそれで機能するのか、まったく分かりません。

だからこそ、“いじくり屋(tinkerer)”にならなくてはいけないんです。対象を分解して、解剖して、徹底的に探らなくてはならない。

たとえば、暗号資産市場が突然20%暴落したとしましょう。

まず最初に皆がやることは「原因究明」です。

「トランプが何か言ったのか?」「誰かが大量売却したのか?」「韓国で何か問題が起きたのか?」など、真相を突き止めようとします。

この“調査力”こそが、重要なスキルセットです。

人生のあらゆる問題、ビジネスにおけるどんな問題も本質的には同じ構造をしています。

ホームスクーラーであるということは、学べる範囲や内容に限りがある反面、こうした“探究力”に非常に長けていく必要があるということです。

インターネットと自己学習の進化

このような学び方をできたのは、本当に幸運でした。

さらに幸運だったのは、ちょうどインターネットの黎明期に教育を受けたことです。これが、教育というもののあり方を根本から変えました。

今では、どんなことに興味を持っても、それに関する教材がYouTubeやCourseraなどに必ずと言っていいほど存在します。そして、自分が望む限りどこまでも深く学ぶことができます。

たとえば、物理学をファインマンから学ぶことだってできますし、量子コンピュータに興味があれば、それにどっぷり浸かることもできます。

さらに今ではAIもあります。AIを“学習アシスタント”としてそばに置いて使うことができる時代です。「この本を読んでいるんだけど…」といってその本をAIにアップロードし、「この章のクイズを作ってくれる?」「テストを作ってくれる?」「章ごとに理解度をチェックしてくれる?」と頼むこともできます。

これはまさに、サル・カーンが彼のプラットフォーム「カーンミゴ(Khanmigo)」で実現しようとしていることです。彼は教育における「2シグマ問題」についての著書も書いています。

こうした教育方法は実現可能です。ただし、それには“愛”が必要です。親の深い愛情と時間的・精神的投資が求められます。

そしてもう一つ大事なのは、この道を選ぶということは、子どもにとって“少し困難な道”を選ばせることでもあります。なぜなら、それは“孤独な道”でもあるからです。

しかし同時に、それは“フォロワー(追随者)”ではなく、“リーダー”として生きるための道でもあります。人を導くために必要なスキルが、こうした教育を通して自然と身についていくのです。

偉人たちの苦難と、それがチャールズに与えた影響

偉人たちがどんな苦難を経験し、それをどのように受け止め、乗り越えていったのかを学ぶことは非常に価値があります。

たとえば、かつて世界一の富豪だったロックフェラー。彼の父親であるウィリアム・エイブリー・ロックフェラーは詐欺師で、いわゆる「にせ薬売り」でした。各地を渡り歩いては人をだまし、偽物の薬を売っていたのです。

最終的に彼の詐欺が発覚すると、家族を見捨てて逃げ出し、新しい女性と再婚して別の家庭を築いてしまいました。

そんな父親のもとで育ったロックフェラー少年の人生を想像してみてください。常に不安定な状況に置かれ、それが彼に「安定こそがすべて」という強迫観念を植え付けました。

その心理が、のちに彼が不確実性だらけの石油・ガス業界に足を踏み入れたときに非常に役立ちました。

1870年、彼はスタートアップとして「スタンダード・オイル」を立ち上げ、それをわずか20年でアメリカ最大の企業に育て上げ、1890年には億万長者となり、石油市場の90%以上を支配していたのです。

多くの偉人に共通するのは、子ども時代に何らかの決定的な体験をしているということです。

たとえば、エイブラハム・リンカーン。彼は1809年に生まれ、1818年には母親を亡くしています。原因は「毒ミルク」でした。牛が有毒な草を食べたことでミルクが汚染され、それを飲んだ母が亡くなったのです。これは当時「ミルクシック」と呼ばれていました。

この出来事はリンカーンに強烈な影響を与えました。彼に「自立心」と「強さ」を与え、それがのちに大統領として成功を収めるために必要な基盤となったのです。

チャールズ自身の幼少期の試練と課題

――今、成功者たちが直面した苦難について話されていましたが、チャールズさんご自身は、15歳までの間にどんな試練を経験されましたか?

私は、どちらかというと“守られた”子ども時代を過ごしました。

母はとても過保護で、貧困やホームレスといった苦難を味わうことはありませんでした。

政治家の多くが「自分は自分で建てた丸太小屋で育った」とか言いますが(笑)、私の場合そういう類のストーリーではありません。

決して貧乏ではなく、深刻な困難を経験したこともありませんでした。

問題は、私の周囲がとても“快適なバブル”だったことです。

そして、そのバブルから抜け出すのは非常に困難でした。

それには相当な時間を要しました。

私たちは皆、それぞれのやり方でその“壁”を超えていくものです。

私の場合の難しさは、非常に小さくて親密なソーシャルネットワークの中で育ったことです。

そうした環境では、人と深く関係を築き、互いに深く理解し合い、常に“疑わずに信じてもらえる”状態が自然と成立します。

でも、そうした快適圏から出て、今のような仮想通貨の世界に身を置くと、それが一変します。

今や私はTwitterで100万人のフォロワーを持つ公的な人物です。

でも実際には、人と深い関係を築く時間なんてほとんどありません。たとえ自分が相手を好ましく思っていて、相手も同じように思ってくれていたとしても、それでも関係は浅くなってしまう。

そういう“深い環境”から“浅い環境”への移行というのは、非常に大きな挑戦なんです。

なぜなら、人々はもはや私に“疑う余地を残す”ことをしてくれません。彼らは私という人間をすっかり理解したつもりで、突拍子もない方法で批判してきますし、私の動機すら攻撃の対象になります。

そうなると、「もっと時間があれば…もっと努力すれば…ちゃんと伝えられれば、彼らの見方は変わるかもしれない」と思ってしまいます。

「好かれたい」という気持ちがどうしても生まれてしまうんです。

でも、100万人や1000万人という規模になれば、“好かれる”なんて不可能です。

人生のすべての瞬間を戦って戦って、5万人もの人を味方につけられたとしても、それは全体のたった5%に過ぎません。

では残りの95%にはどう向き合えばいいのか?

だからこそ、“嫌われる勇気”を内側から育てる必要があるんです。

でもこれは、ホームスクール育ちには特に難しい課題です。

普通の高校に通っていれば、誰しも一度は批判されたり、傷ついたり、揉まれたりする経験をします。

でもホームスクールにはそれがない。だから“違う皮膚”で社会に出ることになるんです。

私にとっては、それが大きな適応の壁でした。

乗り越えるには、時間と努力が必要でした。

大学入学と初めての“社会”体験

――そして15歳から16歳で大学に進学されたんですよね。初めて“社会的な環境”に身を置くことになったわけですが、適応期間はどうでしたか?

私は幸運にも、まずはコミュニティカレッジ(2年制の短期大学)からスタートできたんです。

アメリカでは、ジュニアカレッジ(コミカレ)から始めて、その後に4年制大学に進むという進路があります。私は15歳から18歳までその短大に通い、最終的には準学士号(AS)を取得しました。

成績は満点でGPAは4.0。学業面では非常に簡単でした。

ただ、周囲の学生はみんな30歳くらいでした。つまり、私は15歳で、クラスメイトは30歳。

だから今でも70年代や80年代の音楽が好きなんです。

2004年当時、彼らの文化的な共通認識は1990年代初期〜1980年代後半、場合によっては70年代だったので、彼らと一緒にいるうちに、その文化を自然と吸収してしまったんです。

しかもハワイ自体が“時間が止まった場所”のようなところで、現代より15〜20年は遅れている感覚があります。

実際、今マウイ島に行っても、私が5歳の頃に行っていた「ファン・ファクトリー」というゲームセンターがキヘイという町にまだ残っているんですよ(笑)。私はもう37歳なのに、ですよ。「よく生き残ってるな」と驚きます。

そういう意味でも、あの環境に適応して、自分の“文化的な基準”を作るのはちょっとしたチャレンジでした。

いくら知的に優れていたとしても、社会的な部分は別物です。特にホームスクール出身だと、そのギャップは大きい。

だから、適応にはある程度時間がかかりました。

政治への関心とビットコインとの出会い

医療の道もうまくいかず、数学の道もうまくいかず、かといって女性にばかり気を取られていたわけでもない(笑)。

とにかく「何かをしなければ」と思っていました。でないと時間とお金を無駄にしてしまう、と。

ずっと迷走していました。本当に、自分の進む道を見つけるのが難しかった。

そしてあるとき、完全に足が止まってしまったんです。

これは、早期に卒業するタイプの学生によくあることなんです。最初は非常に勢いがあるのですが、ある地点で失速して、結局“実質的なこと”を何も成し遂げられなくなってしまう。

だから私は、「もっと意味のあることをやらなくちゃ」と決意しました。

そして政治の世界に足を踏み入れたんです。

当時私は、ロン・ポールという人物に非常に共感していました。彼はリバタリアン(自由至上主義)の大統領候補で、2008年と2012年の選挙に出馬していました。

彼の運動を通じて、オーストリア経済学や金本位制、そしてリバタリアニズムの精神など、非常に多くのことを学びました。

まさに“知的ルネサンス”のような体験でした。自分の好きなものすべてが交わる領域だったんです。

歴史もたくさん学べたし、ゲーム理論や経済学の分野では高度な数学にも触れることができました。

さらに、政治哲学も豊かで、選挙制度などにも詳しくなれました。

そして何より、政治という“アート”そのもの――説得術、レトリック(修辞)、スピーチライティングなどにも触れられて、とても楽しかったです。

ただし、私は「職業政治家」になれるような立場でもなければ、そうした仕事を本格的に進められるような人脈も肩書も持っていませんでした。

なので、これは“一回限りの体験”になるだろうと思っていました。

――そんなときに「ビットコイン」が登場したのです。

そして思ったんです。「これはすごい。政治的な側面もあるし、哲学的な要素もある。技術的な魅力もあるし、ビジネスにもなり得る。」

まさに、すべてが詰まった存在でした。

そして私は、偶然にもその波が来た“ちょうどいい時代”に、たまたまその場に居合わせることができたんです。

そのおかげで、この業界に自然と入り込み、自分の道を切り拓くことができました。

家族との関係とホスキンソン・クリニックの展開

――すごいですね。ご家族全員が医療関係のご職業なんですね?

そうなんです。兄は医師、母は呼吸療法士、父も医師、祖父も医師でした。

そして面白いことに、“すべてのものは巡る”というか、今では父や兄と一緒に仕事をしています。

現在、私が関わっているビジネスは6つありますが、中でも一番誇りに思っているのが「ホスキンソン・ヘルス&ウェルネス(Hoskinson Health and Wellness)」です。

これはワイオミング州ジレットにあるクリニックで、現在13,000人の患者を抱えています。

今年か来年には、家族経営の民間医療機関としては、アメリカ最大の規模になる予定です。

医師と中堅医療スタッフを合わせて40人が働いており、内科、循環器科、腎臓内科、神経内科、皮膚科、外科など、複数の専門診療科を有する総合クリニックになっています。

私たちはこの施設を、診療と研究の両立を目指す「リサーチ・クリニック」として設計しました。

つまり、町全体の公衆衛生に関わる医療実践を行いながら、同時に「アンチエイジング」や「再生医療」の研究も進めているのです。

幹細胞療法、加圧酸素療法、ペプチド治療など――最先端の医療知識を学び、実際に応用しています。

この分野は「ジェロセラピューティクス(gerotherapeutics)」と呼ばれており、非常に活気ある成長市場です。

実際、アンチエイジング市場は暗号資産市場よりも速いスピードで成長していると言われています。

投資先としても非常に有望です。

さらに面白いのは、この分野には、医学博士・博士号を持つ“ガチガチの学者”たちと、デイブ・アスプリーのような“バイオハッカー”たち――つまり、自分の体に怪しげな薬品を注射して実験するような人たち――が共存していることです。

あるいは、ブライアン・ジョンソンのように“吸血鬼じみた”生活をしている人もいます(笑)。

こうした“ちょっとクレイジーで、でも超優秀”な人たちが混在している様子は、まさに仮想通貨の黎明期を思い出させます。

どこまでが天才で、どこからが狂気なのか――それが見極められない、あの初期の混沌と熱狂が、このクリニックにもあるんです。

家族の反応と名声の転換点(ラリー・キングとのインタビュー)

――ご家族は、あなたがブロックチェーンや暗号資産業界で取り組んでいることを、どう受け止めていますか?

母はずっと、「ちゃんとした仕事に就きなさい」と言っていましたよ(笑)。かなり長い間、そんな感じでした。

でも、その見方が一変した瞬間がありました。それが、ラリー・キングにインタビューされた時です。

ラリー・キングは、アメリカで非常に有名なメディアパーソナリティで、ウォルター・クロンカイト的存在です。これまでに7人の大統領を含む数々の著名人にインタビューしてきました。

そんなラリー・キングに私がインタビューされたことで、母の見方はこう変わったんです。

「うちの息子は詐欺師で、暗号資産なんて怪しいものに手を出して、そのうち刑務所に行くんじゃないか」

――から、

「これが私の息子よ!有名なの!ラリー・キングにインタビューされたのよ!」

という具合に(笑)。

たった一つの出来事が、これほど人の見方を変えるとは驚きですよね。

父はずっと私のことを誇りに思ってくれていて、「とにかく橋の下で死んでなければ、それで十分だ」くらいの感じで見守ってくれていました(笑)。

やっぱり、成功というのは人々の見方に大きな影響を与えるんですよね。

プライベートジェットや広大な牧場を所有していたりすると、人はこう言います。

「なんだかんだ言っても、クリプトってすごいんだな。チャールズは成功してるもんな。」

でも、私にとって一番うれしいのは――そのような成功を収めたにもかかわらず、家族との関係が昔と変わっていないことです。

多くの人が大金持ちになったり、権力を手にしたりすると、だんだん傲慢になっていき、家族との関係を壊してしまいがちです。

でも私は、兄や母、父、そして友人たちと過ごす時間が、富を得る前と何ら変わらないのです。

関係性も変わらず、今でも自然体で付き合える――それが私にとって最大の祝福だと思っています。

子どもの教育観と未来社会への備え

――以前、私の子どもにも会っていただきましたが、今、私の子どもたちは5歳と3歳です。

今、親として「どんな教育を与えるのがベストなのか」を本気で考えています。

もしチャールズさんにお子さんがいたとしたら、どのように教育環境を構築されますか?

私が最も重要だと思うのは、「世界がこれからどう変わるのか」をまず見極めて、そこから逆算することです。

たとえば、今5歳の子どもがいたとすると、13年後の18歳のときに、世界はどうなっているだろう?と。

量子コンピュータが一般化しているかどうかは分かりませんが、おそらくかなり近づいているでしょう。

そして、人工知能(AI)は間違いなく、あらゆる分野に浸透しているはずです。

これは、2007年にiPhoneが登場してから2020年までのスマートフォンの普及を思い出せば分かります。

あらゆる生活の場面にスマホが溶け込んだように、今後はAIがあらゆる生活領域に統合されていくのです。

また、今までは資本主義の流れで「超専門化(ハイパースペシャリゼーション)」が重視されていましたが、今は振り子が逆方向に戻りつつあります。

すなわち、「ジェネラリスト(広く浅く知る人)」の価値が再評価されているのです。

中世やルネサンス初期には、あらゆる分野に通じる“万能人”が高く評価されていました。

レオナルド・ダ・ヴィンチやゴットフリート・ライプニッツのような人物たちは、芸術だけでなく、数学者であり、物理学者であり、生物学者であり、化学者であり、金属学者でもありました。

ダ・ヴィンチは武器も設計しました。

つまり彼らは“すべてをやっていた”んです。

それが可能だったのは、当時の各学問領域が今ほど深くなかったからです。

しっかりと本を読み込めば、ほとんどの分野を一通り習得することができました。

その結果、学際的な知識を得ることができたのです。

ところが今は、AIの登場により、個人が“無限に深く”掘り下げられる時代になりました。

つまり、「専門性の浅い分野を広く試す“職業的な探究者”」になることが可能です。

そしてAIというツールを適切に使いこなすことができれば、ある分野に何十年も費やした専門家と同じレベルの成果を出すことさえできるのです。

AIとの共進化と学習補助ツールとしての活用

たとえば、私自身の例を挙げましょう。私は数学を学んできたので、数学の論文を読むことはできます。

高度なトピックでも、ある程度は内容を追っていけます。

でも、自分で博士課程レベルの解析的整数論の論文を書くことはできません。

読むことはできても、“書く”ことはできないのです。

ところが、AIを使えば、それが可能になります。

AIが必要な要素をすべて組み立ててくれて、内容の整合性を保ちつつ、しかも私の理解をさらに深めてくれるように支援してくれる。

そして、今まさに我々は、そうしたAIとの共進化の“入り口”に立っています。

あと1〜2世代もすれば、私は単に論文を書くことができるようになるだけでなく、

「その分野でトップにいる研究者と同じレベルの論文」を書くことが可能になるでしょう。

それは、AIによる“人間拡張”があるからです。

しかもこれは数学だけに限った話ではありません。

コンピューターサイエンス、金属工学、その他どんな科学分野でも同じことが可能になります。

だからこそ、子どもの教育を考えるときに重要なのは――

「どうすれば、子どもが自分自身を“拡張すること”に抵抗を持たず、自然に受け入れられるようになるか?」

そしてもう一つ。

「どうすれば、その子に“探究心”を育み、自ら質問し、物事を分解して考えようとする力を授けられるか?」

そうした設計が、これからの教育には求められていくのです。

体験を通じた学びと“実在”への感覚の育成

私は「メイカー教育(作って学ぶ教育)」の大ファンなんです。

たとえば、子どもにRaspberry Pi(小型コンピューター)を買ってあげたり、3Dプリンターを使わせてみたり、

なにか課題(パズル)を与えてそれを自分で解決させる、といった体験がとても重要です。

そしてもう一つ大切なのは、「デジタル」と「フィジカル(物理的な体験)」の融合です。

今の子どもたちの多くは、園芸や自然界の仕組みについて、ほとんど何も知りません。

それどころか、「自分の身の回りの世界は“変えられる”ものだ」という感覚すら持っていないのです。

でも本当は、すべてのものは分解できるし、解析できる。

そしてそこに、自分自身が“介入”できる余地がある。

そのことに気づく体験は、とても特別なことなんです。

たとえば、子どもたちに園芸を教えるだけでも、大きな気づきがあります。

私の友人であるキンバル・マスク(※イーロン・マスクの弟)は、コロラド州で非営利団体を運営しており、

州内の学校にモジュール型の庭(ガーデン)を設置して回り、園芸を子どもたちに教えています。

そして多くの子どもたちが後にこう語るんです。

「学校生活の中で一番印象に残っているのは?」

――それは、数学の授業でも、化学の授業でも、プロム(ダンスパーティ)でもなく、

「庭づくりを学んだこと」だった、と。

自然体験・サバイバル学習と子どもの自己効力感

もう一つ重要なのは、「野外で生き延びる力」を学ぶことです。これは非常に強力な学びになります。

アメリカには、1〜2週間ほど自然の中で過ごしながら、火の起こし方やシェルターの作り方などを学ぶ“サバイバルトレーニング”のプログラムがいくつもあります。

おそらく日本にも、似たような体験学習があると思います。

こうした力を身につけていくと、成長してティーンエイジャーになったときに、

「自分はこの環境の中で“生きる力”を持っているんだ」という感覚――つまり“自己効力感”が身につきます。

それは内なる勇気になります。

「困難に直面しても、自分の中にそれを乗り越える力がある」と思えるようになるのです。

だからこそ、スポーツや競技的な活動は、子どもにとって非常に価値のある経験になります。

計画を立て、トレーニングを重ね、自分を非常に厳しい状況に置く。

そこには“勝てるか分からない”という不確実性があり、実際に敗北することもある。

でも、それでもなお挑戦し続ける――この繰り返しが、子どもに必要なんです。

子どもは「失敗の仕方」を学ばなくてはいけません。

少し“痛い目”にも遭う必要があるんです。

私自身もそうでした。たとえば、Ethereumから追い出されたときなどは、とても大きな“公的失敗”を経験しました。

あれはいまだに議論の的になるし、10年経った今でも、あの件についてあれこれ言われ続けています。

顔を突きつけられたり、揶揄されたり、本当に辛いものでした。

でも、そういう経験こそが人を強くし、有能にし、人間としての器を大きくしてくれるのです。

知識管理・自己省察の重要性とPKMのすすめ

ですから、「人間の拡張性(augmentation)」を高めることも、「失敗の仕方を学ぶこと」も非常に重要です。

人をあえて困難な状況に置きつつ、それを乗り越えるための“リソース”を与えるという構造もまた大切です。

そしてもう一つ、私が強く推奨したいのが、「優れたパーソナル・ナレッジ・マネジメント(PKM:個人知識管理)システム」を持つことです。

もし私が過去に戻ってやり直せるなら、一つだけ持って行きたいスキルがあるとすれば、それはPKMの習得です。

たとえば、Zettelkasten(ツェッテルカステン)というノート術や、情報整理の技法などは21世紀特有の知識基盤です。

今、世界の知識量は18〜36ヶ月ごとに倍増していると言われています。

つまり、常に“膨大な未整理情報”が目の前にあるわけで、それを取捨選択するのは非常に困難です。

私が育った時代には、まだインターネットはほとんど存在しておらず、情報源といえば図書館でした。

情報は限られており、探せば出尽くすという感覚があったし、世界はとても小さく感じられました。

でも今はすべてが“無限”です。

特に生成系AIが出てきてからは、本当に底なしになりました。

たとえば、毎日50~60ページ分のコンテンツを生成しても、泉は枯れることなく、むしろどんどん深くなっていきます。

だからこそ、ObsidianNotion といったPKMツールの使い方を学ぶことは、とても価値があります。

  • PKMをどう活用するか
  • どうやってノートを取るか
  • 「リンクされた知識(linked knowledge)」とは何か
  • 知識をどう整理していくか

たとえば LATCH(Location, Alphabet, Time, Category, Hierarchy) のような整理法もあります。

方法論は何千通りも存在します。大切なのは「完璧な方法」を探すことではありません。

“自分に合う方法”を見つけ、それを日々の生活と学習のすべてに統合していくこと。 それが本質です。

日次ジャーナリングと“書くこと”の学びの力

そして、PKMと並んで大事なのが、「チェックポイント」としての日次記録、つまり**日記(ジャーナリング)**の習慣です。

心理学や認知神経科学のあらゆる研究が示しているのは――

日記をつけている人は、そうでない人に比べて、幸福度も生産性も人生の充実度もすべてが高いということです。

しかも、その差はわずかなものではありません。

どんな指標でも、通常20〜30%以上の差が出ると言われています。

だから、日々ジャーナリングをすることは本当に大切なんです。

それは、自分の思考や感情を整理し、方向付けし、そして今日という一日を見つめ直すための時間になります。

「今日、何が起こったか?」

「今日、大切だったことは何か?」

「意味のあったこと、なかったことは?」

そういった問いを、自分に対して毎日投げかける時間を持つわけです。

そしてもうひとつ重要なことは――

「学ぶとは、“読むこと”ではなく、“書くこと”である」という感覚を身につけられるということです。

あなたは先ほど、私のことを「優れた教育者」と評してくれましたが――

実のところ、私がやっていたのは、ただ「仮想通貨という分野を自分で探究していた」だけなんです。

ホワイトボードを使った動画の多くも、「ある概念について、みんなと一緒にリアルタイムで考えていた」だけなんです。

その過程でスケッチを描きながら思考を整理していくことで、私はその概念に対する理解や習熟度を高めていたのです。

でも、今の子どもたちはそう教わっていません。

「教材を読んで、動画を見て、テストを受ければ終わり」――そんな教え方ばかりです。

でも、本当の学びとはそうではないんです。

“知識を所有する”ためには、自分で“知識を創造”するプロセスが必要なのです。

読むだけではなく、自分の言葉で翻訳し、書き出し、誰かに教える。

これが、本当に知識を自分のものにするための方法なのです。

AIとの共同学習と教育の未来像(Khanmigo・ChatGPTの活用)

AIの力は本当に大きくて、いまや「日記を書く」だけではなく、一緒に成長してくれる“学習の相棒”を持てる時代になりました。

AIは、自分が書いたことをすべて読んで理解してくれます。

そして、自分がAIに何かを教えることもできるし、逆にAIから何かを教わることもできるんです。

これはまさに、サル・カーンが彼のプラットフォーム「Khanmigo(カーンミゴ)」で実現しようとしていることです。

たとえば、あなたがプログラミングを学んでいるとします。

そのコードをAIに見せて、対話を通じてフィードバックをもらうことができる。

アドバイスをもらいながら“階段を一段ずつ登るように”、AIと一緒に学んでいくことができるわけです。

つまり――子どもたちを教育するのに、これ以上に良い時代はありません。

ホームスクーリングである必要すらないんです。

私が言いたいのは、「既存の教育を“補完”すればいい」ということです。

たとえば子どもが学校から帰ってきたら、こう言えばいい。

「君は“パッケージ(学校の課題)”をもらってきたね。それをやる必要があるのは分かってる。だって、それがこの国の“社会契約”だからね。」

そう言って、その“パッケージ”を一旦横に置きましょう。

そして、それとは別にこう考えるのです:

“真に自立した人間”になるためには、何を学ばなければならないか?

  • 困難を乗り越える力
  • パーソナル・ナレッジ・マネジメント(PKM)
  • 人間の拡張(human augmentation)
  • そしてその他の多くのスキル

そうしたものを身につけていれば、子どもが将来どんな道に進もうと、きっと幸せで、生産的で、自信に満ちた人生を歩んでいけるはずです。

自分の道を見つけ、自らの力で前に進むことができるようになるのです。

そして最後に、こう付け加えたい。

「あまり気負いすぎないでください」

どんなに頑張ったって、親というのはいつだって何かを“やらかす”ものなんです(笑)。

――「ええ、私たちもよく分かっています(笑)」

チャールズ自身の原体験:庭づくり・武道・失敗の記憶

――では実際、あなた自身の体験としてはどうでしたか?

園芸をしたり、失敗を学んだり、日記を書いたり、ファブラボ的な“いじくり学習”もしていたんですか?

ええ、もちろん。私はハワイで育ちましたが、うちは裏庭が広かったんです。

母と父はいつも庭いじりをしていて、祖父も熱心なガーデナーでした。

祖父はかつてパナマでレジデンシー(研修医)をしていたのですが、そのときに園芸の習慣が根づいたそうです。

彼の家に遊びに行くたびに、クラブアップル(酸っぱい小さなリンゴ)などをくれたのを覚えています。

そういった記憶は、私にとってとても大切な思い出です。

母方の祖父も、裏庭に大きな家庭菜園を持っていて――

ああいう小さなことが、子ども心にはすごく楽しかったんですよ。ちょっとした“遊び”のように感じられて。

ちなみに、なぜか多肉植物だけは全然うまく育てられませんでした(笑)。サボテンとは相性が最悪で…。

それはさておき、“失敗”について言えば、私は子ども時代にやるべきことは一通りやってきました。

子どもの頃は柔道を習っていて、大会で優勝したこともあれば、負けたこともあります。

その後はテコンドーにも取り組みました。

そういう小さな経験の積み重ねが、今の自分を支えてくれていると思います。

ただ――「失敗」はもう十分経験しました。

これ以上はいらないかな、と思ってるくらいです(笑)。

――素晴らしいですね。本当に、あなたは学校教育だけでなく、本を読んだり映画を観たりといったさまざまな方法で学ばれてきたのだと思います。

あなたが人生観に影響を受けた本として、ユヴァル・ノア・ハラリの著書やロン・チャーナウの伝記を挙げていたのを知っています。

では、映画についてはどうですか?

人生のベスト映画トップ3

あなたの世界観や価値観に影響を与えた「人生のベスト映画トップ3」があるとしたら、どの作品ですか?

映画――私にとって映画とは何かというと…

私は映画が大好きです。特に“良質な映画”が。

一方で、“悪い映画”は何の役にも立ちません。まるでファストフードのようなもの。

“空っぽのカロリー”にすぎない。

そんな映画を観すぎると、感性が鈍くなってしまうんです。

“良い映画”“優れた映画”というのは、人間にとって非常に根源的なもの――「物語ること(storytelling)」への賛歌なんです。

人生で本当に偉大な人というのは、例外なく優れたストーリーテラーです。

彼らは観客を“体験の旅”へと連れて行ってくれます。

そして、観客がどんな期待を持っているかを理解している。

そのうえで、その期待に応え、そして上回り、あるいは良い意味で裏切る――それが映画の面白さです。

逆に、最悪のストーリーテラーというのは、観客の期待を無視し、まったく見当違いの方向に物語を引っ張っていく。

そしてそれは観る者に“痛み”すら与えてしまうのです。

失望した映画体験とストーリーテリング論(スター・ウォーズの例)

映画史における“期待を裏切る最悪の例”として、『最後のジェダイ(The Last Jedi)』以上のものはありません。

あの映画は許されざる作品です。

私にとっての『スター・ウォーズ』への愛を、完全に打ち砕いた作品でもあります。

そもそも『スター・ウォーズ』というのは、“スペース・ウェスタン”的な側面を持った作品でした。

ジョージ・ルーカスは黒澤明の大ファンで、『七人の侍』や『乱』などの名作に強い影響を受けています。

『乱』は本当に美しい映画でしたよね。あれはすべての絵コンテが手描きだったんです。

黒澤は視力を失いつつありながら、それでも一枚一枚すべて自分で描いたんですよ。

今でもその絵コンテはどこかに残っています。

ルーカスはそうした黒澤映画をすべて観ていて、それに“Dune(デューン/砂の惑星)”の要素を融合させることで、あの独特な「宇宙の西部劇」を作り上げたのです。

『スター・ウォーズ』の魅力の大部分は、“体験性”にあります。

つまり、「複雑ではないが魅力的な物語の世界に、観客を放り込む」ことに成功している。

物語の構造は、いわば“崩壊した家族”の話です。

そして、ルーク・スカイウォーカーの旅路は、まさに理想的なヒーローズ・ジャーニーそのものです。

でも本当の魅力は、「一度も見たことのない世界を体験できること」にあります。

奇妙なエイリアン、スペースウィザード(宇宙の魔法使いたち)、そして未知のテクノロジー。

観客はルークと一緒にその旅路をたどり、最後には勝利に至る――でも、その過程は決して簡単ではない。

キャラクターの裏切りと『最後のジェダイ』の構成破綻

でも、『最後のジェダイ』を見ると――あの映画は「自分が何になりたいのか」すら分かっていなかったように思います。

まず第一に、“レガシーキャラクター”が登場します。

つまり、ファンにとっては家族のように親しんできたキャラクターたちです。みんな彼らを心から大切に思っている。

たとえばルーク・スカイウォーカー。

旧三部作で育った世代にとって、「彼をまたスクリーンで観られるなんて!」というワクワク感があったわけです。

ところが、その期待は完全に裏切られました。

映画の冒頭――ルークがライトセーバーを放り投げるシーン。

あの瞬間、彼は“人生に無関心な宇宙の浮浪者(スペースホーボー)”に成り下がってしまったのです。

それは、ルークというキャラクターの本質すべてに反する行動でした。

ルークは決して諦めることのない人物です。

人を信じる心を失わない男なんです。

だって、彼の父親は“子どもを殺すサイボーグ魔術師”ですよ?

それ以上ひどい設定って、なかなかないですよね。

それでもルークは、そんな父親すら見捨てなかった。

なのに、『最後のジェダイ』では――

ルークが弟子にちょっとした“悪いビジョン”を見ただけで、彼を見捨てる?殺そうとする?

「え?これがルーク・スカイウォーカーだって? 本気で言ってるの?」

――ふざけるなよ。

さらに、物語の構造もめちゃくちゃでした。

全体の展開は「追跡劇」です。

宇宙船の燃料があと12時間しかない、という設定。

なのに途中で突然、別の惑星へ“武器取引に関する社会的メッセージ”を語るためのサブクエストが挿入されます。

しかも、そのサイドストーリーは本筋にまったく影響を与えない

スノークに関しても、何の伏線回収もなく処理されてしまう。

どのキャラクターにも、“報われる瞬間”がまるでない。

これは完全に悪いストーリーテリングの典型です。

そして、あまりにひどい物語を見せられると、人は逆に物語そのものから心が離れ、トラウマ化すらするんです。

そして最後には――

「もうこの作品の世界に関わる気がしない」となってしまう。

「スター・ウォーズ」への失望と“良い映画”の条件

私はそれ以来、『スター・ウォーズ』という作品群に、意味のある関わり方ができなくなってしまいました

それまで私は、エクスパンデッド・ユニバース(拡張世界)シリーズの小説を40冊以上も読んできましたし、

アクションフィギュアなどのグッズもたくさん持っていました。

でも――全部手放しました。完全に縁を切ったんです。

心から離脱”した

そして、その世界から完全に去ったのです。


一方で、素晴らしい映画というのは人をインスパイアしてくれる

そして登場人物たちは心に残り、時間が経ってもまた戻ってきたくなる――

そんなふうに、何度でも楽しめる体験を与えてくれます

逆に、悪い映画というのは、最良の場合であっても「何の印象も残らない」だけ。

最悪の場合――それは、観た人を嫌悪させ、作品世界そのものから離れさせ、

さらにはその“原作”すら嫌いにさせてしまう。

結果として、もはや何一つ心に引っかからない世界になってしまうのです。

「ブレードランナー2049」に見る没入体験と創造性の核心

私の人生観を「根本的に変えた映画トップ3」を即答できるかというと――正直、それは難しいです。

でも、「人生で最も没入できた映画体験」として強く記憶に残っているのは、やはり

『ブレードランナー2049』ですね。

この映画は非常に珍しいタイプの作品です。

“伝説的なオリジナル作品”を、新たな監督が引き継ぎ、“完全にそれを超える続編”を作ってしまった――そんな例はほとんど存在しません。

ふつう、過去の名作の続編が出ると、「まあ…そこそこ良かったけど、やっぱりオリジナルには及ばないよね」となるのが定番です。

でも『ブレードランナー2049』は、オリジナルを凌駕してしまった

それはすべて、監督のドゥニ・ヴィルヌーヴ、撮影監督のロジャー・ディーキンス、音楽のハンス・ジマー、そして関わった全スタッフが、

「この作品がどうあるべきか」を完璧に理解していたからです。

彼らはオリジナルの精神を尊重しつつ、現代社会に合わせて見事に“アップデート”したのです。

1980年代のオリジナルでは、テクノロジーやロボットに対する不安――いわば“サイファーパンク的問いかけ”が主軸でした。

「ロボットが人間のように社会を歩き回る未来って、どうなるんだろう?」と。

でも『2049』では違います。

「ロボットはすでに社会に溶け込んでいる」――私たちは、“ポスト真実(post-truth)”の世界に生きているのだと。

あらゆるものが“人工物”で、“合成された存在”ばかりで、もはや**「何が現実で何が偽物か」さえ分からない。

たとえば、アンドロイドであるKと、ホログラムの恋人Joiとの関係

彼女には本当の感情があったのか?それとも単なるプロダクトだったのか?

そしてK自身は――本当に“感情”を持っていたのか?

私たちはふと、こう考えるようになります。

「ロボットがホログラムに恋をすることは可能なのか?」

「この関係は“本物”なのか、それともただの演算と反応なのか?」

映画的体験からプロダクト設計へ:クオンタム・ホスキーの着想

あの映画は本当に素晴らしい出来でした。演技も、ビジュアルも、すべてが見事だった。

映画をつくる者としては――たとえば、『ブレードランナー2049』のラスベガスのシーンのような、そういう“稀有な瞬間”のために生きているようなものなんです。

核が落ちた後の荒廃した世界、真っ赤に染まった空気の中、蜂が飛んでいる――

そしてK(アンドロイド)が静かに蜂の巣へと歩み寄っていくあの場面。

音と映像が完璧に融合し、密度のある世界がそこに立ち上がる。

私はあんな体験、『2001年宇宙の旅』以来、見たことがありません。

観客にあれほどの映画体験を届けられる機会なんて、映画業界でも本当に稀なんです。

あのシーンは“一発勝負”でありながら、それでも映画の中に確かに存在していた。

あれこそが“真の没入体験”です。

『スター・ウォーズ』もそうですよね――あの世界の雰囲気*“没入”できる

あるいは『ロード・オブ・ザ・リング』、特に『旅の仲間』のように、世界そのものに“転送される感覚”。

私はそこからこう考えるようになりました。

「この“没入感”や“驚き”を、プロダクトにも取り込めないだろうか?」

今、私たちが開発しているのが、「クオンタム・ホスキー(Quantum Hosky)」というプロジェクトです。

これはもう、あらゆる要素を詰め込んだフルコース

言ってみれば、プロダクトデザイン版のお好み焼きです(笑)。

冷蔵庫の中にあったものを全部ぶち込んで、「とにかく焼いてみた」。

味は…たぶん大丈夫だと思う。みんなに気に入ってもらえるといいんだけど(笑)

正直、ちょっと“犬の肉”でも入ってるんじゃないかってくらいクレイジーな内容です(笑)。

でも、それだけ“何でもあり”で、“なんでも詰め込んだ”プロジェクトなんです。

4次元空間とAI文明:クオンタム・ホスキーの革新的世界観

まず、今回のプロジェクトで大きなインスピレーションを受けたのは、ジェームズ・キャメロンの『アバター』です。

あの作品って、物語自体はすごくシンプルなんですよね。

いわば「宇宙版・ダンス・ウィズ・ウルブズ」みたいなもの。

でもキャメロンが成し遂げたのは、観客に“新しい次元”を提示したことでした。

当時、現代の観客にとって、「見た目にも本当に美しい3D映画」というのは、それまで存在しなかった。

でも『アバター』を観たとき、みんなこう思ったんです。

「うわ、これはすごい…完全に別世界だ」

まさに“体験としての驚き”があった。

それを踏まえて、私たちのチームでも考えました。

「これまで誰も見たことのないものを見せよう。誰も体験したことのない世界を創ろう」と。

私たちは数学を研究しているので、いろんな面白い技術が使えるんです。

たとえば超幾何学(ハイパージオメトリー)や、さまざまな非ユークリッド幾何といった概念も扱える。

そこで着想したのが、“ハイパーボクセル世界”です。

ボクセル(voxel)とは、ポリゴンの代替のようなもので、3D空間上の立方体ピクセルのような構造です。

『マインクラフト』みたいに、ボクセルで空間を構築していくゲームを想像してみてください。

でも、ここからが本題です。

それを3次元ではなく、“4次元の空間”で構築するのです。

私たち人間は、“4次元”というものを空間として体験したことがありません

通常、4次元というと「時間」のことを指します。

つまり「XYZの変化を時間軸で追う」ような感覚です。

でも、もしW軸――つまり、縦・横・高さに続く“もう一つの空間的次元”があったとしたら?

それは、私たちが直感的にまったく理解できない世界です。

想像すら困難な領域。でも――だからこそ、見せてみたいと思ったのです。

AIエージェントによる文明形成:SimCraft構想

『アバター』のように、もし“空間次元の追加”がうまく実装できれば、それだけで人々の脳を吹き飛ばすほどの体験になるでしょう。

でも今回のプロジェクトは、単に「見せる」だけではありません。

これは“建築ゲーム”なんです。

つまり、ユーザー自身が4次元空間で構築していくことになります。

でももちろん、私たちには4次元空間で“どうやってモノを作ればいいか”という直感がまったくない

だからこそ、それ自体がとても面白い体験になると思っています。

ただ、そこで問題になるのが、「どうやってプレイヤーにこの世界観を理解させるか」「どこから手をつけさせるか」という“ナビゲーションの難しさ”です。

そこで私は、もう一つ別のアイデアを統合することにしました。

それが、「エージェンティック・シビライゼーション(agentic civilization)」という概念です。

たとえばDelterraという会社では、AIエージェントたちを『マインクラフト』の中に放ち、人間抜きで彼ら自身にプレイさせるという実験を行っています。

そこでは、1000体のAIエージェントたちが、独自の宗教や文化、経済を生み出したんです。

本当に驚くべき成果ですよ。

そこで私は思ったのです。

「このAIたちを、4次元の世界に放ったらどうなるんだろう?」

「もっと深くて豊かなバックグラウンド(世界設定)を与えてあげたら?」

それって、もう“アリの観察キット”を見ているような世界”になるんですよね。

つまり、プレイヤー自身が何かを作る「クラフティング要素」だけでなく、

AIたちが自律的に文明を築いていく「シミュレーション要素」も加える――

そうして生まれたのが、私たちが開発しているプロジェクト:

「SimCraft(シムクラフト)」です。

思考によるマイニング:Mindscapeと人間性の証明

そして私たちは言いました――「このウサギの穴を、もっともっと掘り進めてみよう」と。

そうして新たに取り入れたのが、瞑想ブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)といった技術要素です。

私はこれらの分野が大好きで、個人的にも強く興味を持っていました。

それで、ふと思いついたんです。

「もし、マインド(思考)で暗号資産をマイニングできる仕組みを作れたらどうだろう?」

つまり、瞑想することで、ブロックをマイニングできるようなアルゴリズムがあれば面白いのでは?――と。

そして実際に、それは可能だったのです。

私たちはそのための専用アルゴリズム、「Mindscape(マインドスケープ)」を開発しました。

現在、それをこのゲーム世界に実装する準備を進めています。

これによって、プレイヤーはマインドによって採掘を行えるだけでなく、同時にある重要な機能が生まれます。

それが*“Proof of Human(人間性の証明)”です。

この仕組みでは、特殊なBCIヘッドセットを装着することで、プレイヤー固有の脳波パターンが読み取られます。

この脳波データは個人ごとに唯一無二の特徴を持っているため、

ゲーム内で「これは本物の人間なのか、ボットなのか」を明確に区別できるのです。

生きた神経細胞を使ったDishBrainコンピュータとの融合

そして、さらにこんなアイデアも出てきました。

「DishBrain(ディッシュブレイン)コンピュータ」をゲームに組み込んでみようと。

このDishBrainというのは、人間の神経細胞をペトリ皿の中で培養し、それをコンピュータと接続してゲームを“学習”させるという技術です。

この分野で最先端の取り組みをしているのが、Cortical Labs(コーティカル・ラボ)という企業です。

私たちは今、彼らの機材の一部を導入する予定です。

つまり、超幾何学(exotic geometry)4次元空間思考によるマイニングAIによる文明形成

さらには人間の神経細胞を使ったコンピュータ学習――

こうしたすべての概念を、ハイパーボクセル世界の中に統合していくのです。

それは、これまで誰も体験したことのない、まったく新しい世界になるでしょう。

クオンタム・ホスキーがもたらす“生態系としてのゲーム”の可能性

これこそが、私の考える「良い映画」や「良いストーリーテリング」の本質なんです。

そして、ここまで作り込んだ世界観ができると――

今度はこう考えたくなります。

「この世界には、どんな概念が存在するだろう?」

「この世界には、どんな哲学や文化、宗教が芽生えるだろう?」

そうして、ディープな“ロア(世界観設定)”を掘り下げていくことになるんです。

では、そこで「なぜ暗号資産なのか?」という問いが出てきます。

私がやりたかったのは、すべてのミームコインやGameFi(ゲーム×金融)を統合できる仕組みを作ることでした。

しかも、それによってミームコイン側にもメリットがある構造にしたかったんです。

この構想の要になるのが、クラフティング(制作)にトークンを必要とする設計です。

プレイヤーがクラフトするたびにトークンを消費し、

その一部がゲーム内の**トレジャリー(財務口座)**に入ります。

そして、そのトレジャリーは自動的にさまざまなミームコインを買い集める仕組みになっています。

それだけではありません。

ゲーム内の生物たち――たとえば、倒したり交流したりするモンスターの中に、

ミームコインそのものを埋め込むことができるんです。

つまり、プレイヤーがその生き物と関わることで、直接そのコインを“採掘”することができる

これがいわゆる、「Play-to-Earn(遊んで稼ぐ)」の構成要素となります。

トークンで世界を変える:空間操作とCardanoとの統合

このプロジェクトで一番楽しみなのは、

「この世界の中で、どれだけ面白いトークノミクス(トークン経済)を構築できるか」という点です。

特にワクワクするのは、トークンの使い方次第で「空間の構造そのもの」が変わる設計ができること。

たとえば――

「4次元空間を3次元空間に“圧縮”するために、トークンを支払う」みたいな仕組みです。

なぜなら、4次元空間で建築をするのは、正直言ってとても難しい。

だからこそ、3次元に変換する“空間変形権”が、トークンの使い道になるわけです。

こういう発想、私は大好きなんですよ。

映画から数学へ、美術から哲学へ――

異なる学問や表現のインスピレーションを融合させて、新しいものを生み出すこと。

たとえば、アート面ではMcEがこのプロジェクトに関わってくれていて、

彼の作品にも多くの概念が反映されています。

そうやってあらゆる知見を持ち寄って、誰も見たことのない、まったく新しい体験を創り出す。

しかも面白いのは、このプロジェクトって、別に“プレイヤーがいなくても成立する”という点なんです。

なぜなら、これはAIたちが自律的に文明を築く世界だから。

AIエージェントたちは、プレイヤーの存在を認識していない。

まるで、自分の飼っているアリの巣観察キットみたいなものです。

たとえ商業的に大ヒットしなかったとしても、

「4次元空間で、AIだけで構成された人工文明はどう振る舞うのか?」という

知的実験として極めて興味深いです。

論文も書けるし、コミュニティでその進化を観察することもできる。

とはいえ――私は思うんです。

きっと多くの人が、この世界を気に入ってくれるだろうし、楽しんでくれるはずだと。

そしてなにより大事なのは、

これをCardanoのエコシステムに組み込んでいけるという点です。

創造の場としてのCardano:Midnightと未来展望

今の私は、キャリアの中でも「創造」に最も集中できる段階にいます。

だからこそ、Cardanoの上に“本当に面白くて魅力的なプロダクト”を構築したいと思っているんです。

そして、それを正しくやり遂げることができれば、何百万人もの新しいユーザーをCardanoのエコシステムに呼び込めるはずだ――そう信じています。

――すごいですね。本当にワクワクします。

私たちは、学校教育や本、映画などから多くを学びます。

でも、同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが、“人生経験”からの学びです。

チャールズさんも、BitShares、Ethereum、そしてCardanoと、プロジェクトを渡り歩く中で、非常に多くの経験を積まれてきたと思います。

そしてCardanoは、もはや誰もが認める大成功を収めています。

――では、ここで少し過去に遡りましょう。2014年の終わり、もしくは2015年の初めに戻るとしましょう。

現在のあなたの知識と経験をもって、

当時、暗号業界では「Crypto版Googleを目指すべきか?それともMozilla的な存在を目指すべきか?」という哲学的な議論がありましたよね。

そしてあなたは、Cardanoというブロックチェーンを立ち上げ、成功へと導いた。

でも――

もし今、最初からCardanoをつくり直せるとしたら、何を“違うやり方”にしていたと思いますか?

Cardanoをゼロから作り直すなら?創業期の振り返り

そうですね――皮肉な話ですが、私は「同時に正しく、同時に間違っていた」と思っています。

いわば、“正解と不正解の重ね合わせ状態”のようなものでした。

当時の私の主張は、こうでした。

「営利的な要素がなければ、Ethereumは成功しないだろう」

そして、この点については私は正しかったと思います。

なぜなら、Ethereum Foundation(財団)は構造的に失敗していたからです。

運営はうまくいっておらず、リーダーシップの問題が山積。

結局、Vitalik自身が何度も介入して、体制を立て直さなければならなかった。

創業者8人のうち、7人はすでに離脱し、財団レベルでの関与はなくなっています。

つまり、誰も“そこに居続ける”インセンティブを持っていなかった

Ethereum立ち上げ時に調達された資金は1800万ドルあったものの、

そのうち銀行口座に残っていたのは、たった50万ドル。

財団はほぼ破産寸前だったわけです。

この点においては、私の予測は間違っていなかった。

しかし――私が見誤っていたのは、ジョー・ルービンがEthereumの“商業部門”を自ら立ち上げて、私たちがやりたかったことをそのままやってしまったという点でした。

彼はConsenSysを創設し、見事にEthereumの商業的展開を成功させました。

ルービンはこの業界における「寡黙な偉大な起業家」の一人です。

非常に頭の良い人物で、完璧に“実行”した

彼は多数の関連プロジェクトを生み出し、それらがEthereumの中核技術の基盤になっていったのです。

たとえばEthereum Enterprise Alliance(EEA)の創設や、

「Ethereumという技術は“避けられない未来”である」という認知の浸透も、彼が築いたレガシーです。

結果的に、Ethereumは極めて“アンチフラジャイル”(壊れにくく、逆境に強い)なプロジェクトへと成長しました。

それは、こうしたルービンの商業的インフラ構築があってこそだったのです。

Cardano技術設計の選択と教訓:やり直すなら何を変えるか

「もしCardanoを最初から作り直せるなら、何を変えるか?」

それについては、私の中で明確な答えがあります。

まず、大きな方向性については間違っていなかったと思っています。

たとえば:

  • 拡張UTXOモデル(Extended UTXO)
  • Plutus(スマートコントラクトの開発言語)
  • アプリケーション開発やステートチャネルに関する思想
  • Ouroboros(コンセンサス・プロトコル)
  • オンチェーン・ガバナンス
  • CardanoとCL(Cardano Layer)による多層設計

これらはすべて、当時としては先進的すぎるくらい正しかったと思っています。

そして、今や業界全体が、私たちの選んだ方向に近づいてきている。

たとえば、Vitalik(Ethereum創設者)もこう言っています。

「非カストディアル型の流動ステーキング(liquid non-custodial staking)が必要だ」と。

――ああ、今さら?そう思いましたよ(笑)

「UTXOってすごく良い。うちにもあればいいのに」とも言っています。

――ほんとに?今さらそう言うのか、と(笑)

最近では、Ethereum側も「憲法委員会」のようなオンチェーンガバナンス機構を検討しているそうです。

つまり、Cardanoが打ち出した多くの思想が、今ようやく業界全体に追いつかれ始めたという感覚があります。

しかし――私たちが問題に直面したのは、別の部分でした。

それは、「技術設計」と「実装の難易度」をどう評価するかという点です。

私はプロのエンジニアではなかったため、ある種の判断を見誤ったのです。

たとえば、私は当初、「科学論文を書くこと」のほうが難しいと思っていた。

実際、Cardanoには現在168人の科学者が関わり、240本以上の学術論文を発表しています。

この分野において、私たちは非常に高いレベルの成果を出してきた。

なので、「論文を書く=一番の難関」と思っていたのですが、それは実は全然そうではなかった。

本当に難しかったのは、“エンジニアリングの現実”でした。

その複雑さと困難さを私が過小評価してしまった――これが最大の反省点です。

これは完全に、私自身の責任です。

Haskell採用と開発判断の裏側:もっと早くやるべきだったこと

もし私がプロのソフトウェアエンジニアだったら――

Cardanoのアーキテクチャ設計では、もっと当たり前のように違う判断をしていたと思います。

たとえば:

  • gRPCのような標準技術を活用していたでしょうし、
  • サービス指向アーキテクチャ(SOA)も採用していたでしょう。
  • 現代的なソフトウェア設計における定石というものを、もっと深く意識していたはずです。

また、使用するプログラミング言語も、もっと標準的なものにしていたと思います。

……とはいえ、努力しなかったわけではありません。

当初、私はハイブリッド型の関数型言語を使いたいと強く思っていました。

具体的には、以下の言語を検討しました:

  • F#(Fシャープ)
  • Scala(スカラ)
  • Clojure(クロージャ)

ですが、いずれも実用に踏み切れませんでした。

F#は当時まだ.NETがオープンソースではなかったし、

Clojureに関しては、Rich Hickeyの会社と直接話したものの、合意に至らなかった

Scalaについては、「Scala 2がいつScala 3になるか」を待っていた状態でした。

つまり、どの言語にも「採用できない理由」があったのです。

結果として私たちは、Haskellを採用することにしました。

というのも、当初は「このコードベースはせいぜい3〜5年使えばいい」と考えていたんです。

Haskellは、“科学と本番運用コードをつなぐ翻訳言語”として理想的だと判断しました。

そして、2025年頃にはコードベースを刷新し、複数クライアントを持つ設計に移行するつもりだったのです。

しかし、現実はそう甘くありませんでした。

多くの技術的・運用的な問題が絡み合い、開発のスピードは大きく低下しました。

私たちは最終的には目的地に到達できましたが、想定していたより何年も余分に時間がかかったのです。

その間、私たちはプロダクトを開発しながら、“プロのエンジニアとしてのマインドセット”を学び直す必要がありました

K言語とYella構想:セマンティック仮想マシンの夢と挫折

私がCardanoのこれまでの道のりの中で、

「最も実現したかったのに叶わなかった構想」

そして今でも決して癒えない傷”のように感じているものがあります。

それが、セマンティクスベースのコンパイルアーキテクチャ「Kフレームワーク」を使った構想です。

当時、私たちは「Yella」や「K言語」に基づく仮想マシンの実装を構想していました。

Bruno Palaiologos(ブルーノ・パレオロゴス)が中心となって書いた論文もあり、

そこではこの仕組みを「Chainmail Ledgers(チェインメール型台帳)」と名付けていました。

私たちが目指していたのは、**Ethereumのアカウントモデルと、Cardanoの拡張UTXOモデルの“ハイブリッド統合”**です。

実際、それをどう実現するかも技術的には明確に見えていました。

構想としてはこうです:

  • 基本は拡張UTXOモデルをベースにする
  • そこでは、Marlowe(マーロウ)のようなチューリング非完全な言語を使う
  • 機能は非常に限定的だけど、資産発行や金融トランザクションには十分対応可能
  • 非常にシンプルで、関数型に近く、高速かつ最適化しやすい
  • 一方で、より複雑なスマートコントラクトにはアカウントベースの並列サイドレイヤーを用意する
  • そこにK言語を使い、仮想マシンとしてYella(イエラ)を搭載する

この設計により、システム全体としてはUTXOベースの安定性と、アカウントベースの柔軟性の両方を兼ね備えることができる。

この発想を、私たちは「アイランド(島)、ポンド(池)、オーシャン(海)」構想と呼んでいました。

KとHaskellの衝突:理論と現場の乖離

私たちの構想では、新しいプログラミング言語をサポートしたいときは、

その言語のKセマンティクス(意味論定義)を一度だけ書けばよく、

それをトランザクションのように登録すれば、あとは自動的に機能するようになる、というものでした。

つまり――

Pythonでも、C++でも、JavaScriptでも、あらゆる主要言語に対して一回Kセマンティクスを書くだけで

その後は自動的にコンパイラや実行環境に統合される

私はこう思ったんです。

「これはすごいぞ。まさに“全言語対応のユニバーサル・トランスレータ”じゃないか」

「Cardanoは“開発者にとって最高のプラットフォーム”になるに違いない」

実際、当時はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(UIUC)のGrigore Rosu(グリゴレ・ロス)率いるRuntime Verification社と連携し、

19人の開発者が数年間このプロジェクトに取り組んでいました

でも――どうしても実現には至らなかった

いつも、「もう少し、あと一歩」というところまでは行くんです。

でも、最後のピースがどうしてもハマらない。

問題は、Kサイド(Grigore陣営)と、関数型言語サイド(Phil WadlerやHaskell派)との文化的・思想的衝突でした。

両者はまるで水と油のように、絶対に混ざり合わなかったのです。

常に意見がぶつかり合い、協調的な開発ができなかった。

そして私は、最終的にどちらかを選ばなければならなくなった

私は拡張UTXO(Extended UTXO)の側を選びました。

なぜなら、長期的に見て、このモデルの方がCardanoにとって持続的な価値をもたらすと考えたからです。

……でも、今でも心のどこかで残念な気持ちはあります。

あのKとYellaの構想は、本当に美しく、ロードマップの中でも輝く存在でした。

そして、もしそれが実現していれば、Cardanoに計り知れない価値を付加できたと信じています。

UTXOの選択とその代償:スマートコントラクト開発の難しさ

私たちが2021年にスマートコントラクト展開で“やや期待外れ”な結果となってしまった理由のひとつが、まさにこの選択にあります。

たとえば、以下のような要素――

  • リミテッド・コンティニュエーション(状態の継続と移譲)
  • スマートコントラクト間の状態の受け渡し
  • コンポーザビリティ(組み合わせ可能性)
  • インテントベース・プログラミング
  • データ可用性

これらは、本来であればアカウントモデル側での実装の方がはるかに扱いやすい概念なんです。

私たちは、これらを拡張UTXO(eUTxO)で実現する方法を独自に模索し、なんとか対応できる形にはしました

でも正直なところ、それを“思考の枠組みとして捉える”なら、アカウントモデルの方がずっと自然だったんです。

実際、当初のCardanoのロードマップには、拡張UTXOモデルと並列する形で“アカウントベースの実行環境”を用意する計画がありました。

でも、プロジェクト進行の都合上、アカウント側は切り捨てられてしまった

結果として、それに依存していた構成要素――

スマートコントラクトの柔軟性開発者体験(DX)などが、大きく損なわれることになったのです。

つまり、Cardanoでスマートコントラクトを書くことが、非常に難しくなってしまった

今の私がすべてを知ったうえでもう一度始められるなら――

この部分は“根本的に、そして徹底的に”違う設計にしていたと思います。

UTXOへの集中とBitcoin DeFiの可能性:もし2015年に戻れるなら

今の私の知識と経験をすべて持った状態で2015年に戻れるとしたら――

私はもっと早い段階から、拡張UTXO(eUTxO)モデルに全力投資していたと思います。

たとえば、今では当たり前となっているような

  • 参照入力(reference inputs)
  • スクリプト構成のテクニック など、あらゆる技術的工夫をすぐに採用して、2015年〜2016年の段階で実装を進めていたはずです

同時に、それに対応した開発者向けエコシステム(dev ecosystem)の構築にも取りかかっていたでしょう。

そして――私は間違いなく、BitcoinベースのDeFi(分散型金融)にももっと早く着手していたと思います。

たとえば、BMEX(Bitcoin系DEXやDeFiプロトコル)のような構想に資源を集中させ、

UTXOに特化した金融基盤をいち早く築いていたはずです

そうしていれば、おそらく業界全体の“DeFi競争”を完全に制していたとすら思っています。

今ではAikenやPlutusといった新しい開発ツール群が整っており、

Cardanoでスマートコントラクトを書くのは、当時とは比べものにならないくらい簡単になっています。

でも、当時は本当に大変だった

もちろん、今でもまだ未完成な部分はあります。

たとえば:

  • もっと強力なオラクル(外部データ連携)
  • データ可用性(DA)に関する改善

また、私もSeba(Sebastien Guillemot)と同じ意見で、

CardanoのエコシステムにもStarkWareのようなZK系スケーリング技術があれば良いと思っています。

ただ、これは次世代の“トップシェルフ技術”なので、

2015年当時の我々がそこまで手を広げられたとは思っていません

でも、eUTXOの設計思想や活用方法については、当時から理解して取り組むことができたはずなんです。

だからこそ私は、もっと早く、もっと大胆に、UTXOに全力投資しておくべきだったと心から思っています。

理想の開発スタックとグローバル戦略:Elixirとアルゼンチン拠点の可能性

振り返ってみると――Cardanoの開発言語も、もっと別のものを選ぶべきだったかもしれません。

当時使いたいと思っていた言語――たとえば F#Scala 3――は、当時はまだ未熟で、実用性が足りなかった。

Rust に関しても、2015年当時はまだ登場したばかりの“赤ちゃん言語”で、とてもメインで使えるレベルではなかった。

その中で唯一、本気で採用を検討できる言語が「Elixir(エリクサー)」でした。

今でも私はElixirが大好きですし、本当に“クールな言語”だと思っています。

そして、もうひとつ「やっておくべきだった」と思っているのが、

大規模な開発拠点をアルゼンチンに構えることでした。

実際、私はそれを「やろうとして、途中で止めてしまった」んです。

当時、私たちは「Aetex(アエテックス)」というブエノスアイレスの企業と一緒に仕事をしていました。

この会社はのちに「Globant(グローバント)」に買収されることになるのですが、

この関係から、CardanoとGlobantとの接点が生まれたんです。

そしてAetexには、Alan Vermeir(アラン・ヴァーミア)という本当に優秀なエンジニアがいました。

もしあの時、もっと早く、彼らのチームにしっかりと投資して関係を深めていれば――

私たちはもっと開発生産性を高めることができたと思います。

特に、

  • コンシューマー向けのUI/UX部分
  • 周辺アプリケーションとの統合開発(インテグレーション)

といった領域では、今よりもずっと早く前進できていたはずです。

資源配分と戦略的連携の教訓:もしBraveやTetherに注力していたら

そして、もうひとつ振り返って思うのは――

「もっと積極的に提携や事業開発(deal-making)を進めておくべきだった」ということです。

たとえば、初期の段階でTether(テザー)と何かをやっていたら、状況はまったく違っていたと思います

もしそれが実現していれば、Cardanoにも“マネープリンティング・マシーン(収益装置)”のような基盤があったかもしれない。

さらに、数十に及ぶ戦略的パートナーシップや、重要な業界関係者との人脈も築けていたでしょう。

でも、まあ――

そういう「もしも」の話こそが、人生やプロジェクトを面白くしてくれる要素でもあるんですよね。

もちろん、当時の自分たちなりに、「そのときできる最善」は尽くしてきたと思っています

その中で私は本当に多くのことを学び、

いまでは多くの分野において**“ドメインエキスパート”としての知識と経験**を得ることができました。

そして、今取り組んでいるプロジェクト「Midnight」では――

私たちは“すべてをやり直せる”ような感覚で、もう一度ゼロから構築に取り組んでいるのです。

Midnightというのは、これまで培ってきた最先端の思考・経験・後悔すらもすべて注ぎ込んだ集大成です。

だから、もし「チャールズ・ホスキンソンが過去をやり直すとしたら、どうするか?」を知りたいなら――

「Midnightの構築と立ち上げを見れば、それがすべてわかる」と思ってもらって構いません。

組織構造の再設計:Cardano財団・EMURGO・IOGの本来あるべき姿

――では、IOHK(現IOG)、EMURGO、Cardano財団(Cardano Foundation)という三者構造の法的・組織的設計についてはどうでしょう?

やはり「やり直せるなら違う形にしたい」と思いますか?

それはもう、まったくの“別物”にしたでしょう。完全に抜本的に。

まず、Cardano財団(CF)について。

本来の意図は明確だったんです。

ただ、さまざまな不運と失策が重なって、その意図が実現されなかった

当初、マイケル・パーソンズが財団の立ち上げを主導する役割を担っていました。

彼は年配で経験のある人物で、外部からエグゼクティブ・ディレクターを招き、メンバーシップ型の財団を設立するはずだったんです。

つまり、最終的にはコミュニティによって選ばれる理事会が運営する仕組みにする予定でした

ただし、最初から“コミュニティ選出の理事会”を導入するのは不可能です。

なぜなら――当時はまだ、コミュニティそのものが存在していなかったからです。

ですから最初の数年間は、「カストディアル・ボード(暫定的な管理理事会)」による運営でも問題ないと考えていました。

重要なのは、その後、段階的にコミュニティ主導に移行していくことでした。

しかし実際には、パーソンズ本人にその気がまったくなかった

結果として、彼は外部からの圧力で財団から退くことになりました。

その後、理事会の過半数はInput Output(IOG)側の人間で構成されるようになり、

スイスの規制要件に対応するための**“名目的なスイス人枠”**が加えられたという状態でした。

私たちはその後、法的な分析を行ったのですが、

当時の財団構造では「コミュニティによる統治」への移行は、法的に非常に困難だと判明したのです。

Intersectが目指す真のコミュニティ統治:Cardano財団の反省からの再設計

当初、私たちはCardano財団の拠点をスイスから他国へ移転させる計画を進めていました。

そのために、さまざまな法的調査や構造改革を検討していたのですが――

その最中に、スイス側の“マイノリティ理事”たちが私たちを解任しようと動き出したんです。

そして、実際に彼らは成功してしまいました。

彼らはスイス政府の介入を引き出し、私たちを財団の運営から完全に排除したのです。

その結果、現在のCardano財団は――

理事全員がスイス人によって構成された、完全に独立したボードになりました。

そして今では、財団に対するコミュニティからの監視や統治の手段が一切存在しない状態になってしまったのです。

もちろん、財団は「私たちは良いことをやっている」と各所で積極的に広報しています。

それを否定するつもりはありません。

でも――Cardano財団が設立された当初の意図は、“コミュニティが所有し、運営し、統治する組織”にすることだったのです。

この「本来あるべき姿」が、いま実現されようとしているのがIntersect(インターセクト)です。

Intersectは、メンバーシップ型のコミュニティ組織として成長しています。

会員が提案し、投票し、方針を決め、予算も執行していく。

つまり「真の分散型ガバナンス」が目に見える形で進行しているのです。

ですから、「財団をどうすればよかったのか?」という質問に対して――

もはや仮定の話をする必要はありません。

私たちは今まさに、“Intersect”という形で、それをリアルタイムに実行しているのです。

Intersectへの批判と現実:資金ゼロから始まった新しい統治の挑戦

Intersectに対しては、批判もたくさんあります

たとえば、こう言われます。

「たった1年で、6年間蓄積されたCardanoのガバナンス需要すべてに応えろなんて無理だろ」

確かにその通りです。

さらに言えば、Intersectは

  • 創業者報酬(Founder Distribution)も受けていない
  • 600百万ADAの初期資金もない

つまり――最初から“資金ゼロ・特権ゼロ”で立ち上がった組織なのです。

しかもこれまでに、Cardano財団がIntersectを積極的に妨害してきたケースもありました。

明確に敵意ある妨害というよりは、「消耗戦(war of attrition)」のような間接的な圧力ではありましたが、それでも確かに障害は多かった。

また、EMURGOとの関係についても、もっとベンチャー投資や商業化に対する監視とコントロールが必要だったかもしれません。

ただ、これについてはCardano全体の構造的課題でもあります。

なぜなら――2015年当時、私たちには“このようなエコシステムを構築するための手本(プレイブック)”が存在していなかったのです。

Ethereum創設者のJoe Lubinが、この「暗号プロジェクトにおける商業化・ガバナンスのプレイブック」を初めて構築し、

その後、それをSolanaが洗練・最適化して取り入れた

でも、当時の私たちは完全に手探りでした。

もし、あの時すでに“正しいやり方”が分かっていたなら――

EMURGOの組織構造や戦略も、きっともっと正しい形で設計できていたと信じています。

Cardanoの文化と未来:1.5B ADAの財政、憲法、そして誇り

私も若かったし、Cardanoというエコシステム自体もまだ未成熟だった。

時代背景も、業界全体の期待値も、今とは全く違っていたと思います。

でも、すべてを振り返ってみると――

Cardanoが生き残り、成長し、今も発展し続けているという事実こそが、私たちにとって何よりの財産です。

結局のところ、私たちには今――

15億ドル相当のトレジャリー(財政基金)があり、誰もがそれを活用することができる。

そして私たちには、オンチェーン・ガバナンスがあります。

あなたもその一部だし、多くの仲間がその一部です。

私たちには、憲法(Constitution)があり、

ロードマップがあり、

年次予算プロセスも確立されています。

これらは、Bitcoinを持っていても得られないものです。

EthereumやSolanaを持っていても、彼らにはない構造です。

でも、Cardanoにはそれがある。

技術的にも、私たちは正しい方向にいます。

  • Ouroboros(ウロボロス)は優れたコンセンサス。
  • Extended UTXOは強力で安全。
  • 開発モデルも非常に優れており、複雑さを抽象化しながら高度な表現力を実現している

もちろん、課題はあります。

でも――私たちはそれらの課題を認識していて、どう解決すべきかも分かっている。

しかもそれは、12〜24ヶ月という現実的な期間で十分に対処可能です。

一方で、マーケティング、ブランド認知、商業化といった“外向きの成長”は、サイクル的なものです。

たとえば、あるサイクルを逃せば、「2〜3年間、辺境の地に取り残される」ような思いをすることもあるでしょう。

でも、それでも私たちはどこにも行きません。

Cardanoには破産もなければ、ネットワークの消滅もありません。

誰かが「もうDaedalusをアンインストールするよ、Cardanoはもう終わりだ」と言ったとしても――

このエコシステムには、“忠誠心”“粘り強さ”“揺るがぬ信念”が宿っています。

一部の批評家はそれを「カルトだ」と揶揄しますが、私はそれを“カルチャー(文化)”と呼びます。

そしてその文化こそが、Cardano最大の強みだと、私は信じています。

ロバは億万長者を気にしない:地に足のついたリーダーシップ

――最後の質問です。

4~5年前、あなたがこんな言葉を残したのを覚えています。

ロバは、お前が億万長者だろうがなんだろうが気にしない。やつはお前の上で平気でクソをする。

このフレーズ、私の中でずっと残っているんです。

他にも、あなた自身の言葉でも誰かの言葉でも構いません。

あなたの人生観やリーダーシップ哲学を象徴するような“座右の銘”はありますか?

ええ、あります。私が尊敬する人たち――偉業を成し遂げたのに“狂わなかった人々”には、共通点があります。

それは、彼らがみな、“自分を地に足つけさせる習慣”を持っていたということです。

たとえば、大阪を見てみましょう。大阪城は豊臣秀吉のものでしたよね。

彼は貧しい身分から天下人になった人間ですが、どれだけ権力を得ても、

鶏小屋から卵を自分で取りに行っていた

つまり――人生には、自分を調整し続ける「規律的な習慣」が必要だということです

それがないとどうなるか?

イーロン・マスクのようになります。

彼は、自分が築き上げた帝国を自ら燃やして回り、

宇宙飛行士を「裏切り者」と呼び、

5人の女性との間に13人の子どもをもうけ――まるでスパイラルに陥ったかのようになっています。

なぜこうなるのか?

それは、“取り巻き(sycophants)”の存在です。

サメに吸い付くヒルのように、自分にへばりついて甘い言葉だけを言ってくる人たちが大量に現れる

そうした“寄生者”が増えすぎると、人は現実感覚を失ってしまうんです。

自然の癒しと“評価されないこと”の力

自然の素晴らしさは何かというと――

自然は、人間にとって重要なものをまったく理解していないという点です。

ロバは、お前が億万長者かどうかなんて気にしない。

彼らは誰に対しても同じように接してくる

だからこそ、動物と一緒に過ごすことには、とてつもない“癒しの力”があるんです。

実際、アメリカの刑務所では、受刑者に犬や猫を与えるプログラムが数多く行われています。

再犯率、暴力事件、精神的安定――

どれをとっても、動物を持った受刑者は劇的に改善することが分かっています。

なぜか?

動物は、彼らを“裁かない”唯一の存在だからです。

誰であっても、過去に何をしていても、ただ“今そこにいる人間”として無条件に接してくれる

それが、人を再び“地に足のついた自分”に戻してくれるのです。

カルダノエコシステムとSITION

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